ピーター・グレイ「遊びが学びに欠かせないわけ」を読んだ。吉田新一郎さん翻訳のシリーズ?である(吉田さんが翻訳する本は一貫して彼の信念に沿った本が選ばれるので、良くも悪くともシリーズの名前がふさわしい)。
昨年から今年にかけて、吉田新一郎さんは翻訳をたくさん出されていたので(『イン・ザ・ミドル』もその一冊ですが)、読者としてはどれを手にとっていいかわからない。「どれがおすすめですか?」と小学校の先生のトミーさんに尋ねたところ、推薦してくださったのがこの1冊だった、というわけ。著者は、ボストンカレッジの心理学部教授。自分の子育てをきっかけに、「遊び」が持つ学習の価値について先行研究などを調べて書いた本である。
目次
我が子から自由を奪っていませんか? 『遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる』(Tommy’s Idea room)
http://tommyidearoom.com/2018/03/05/post-993/
遊びの特徴とは何か?
この本で面白かったのは、子供達の「遊び」の特徴について、これまでの「遊び」についての先行研究も踏まえながらポイントをまとめてくれているところである。特に後半の章で「遊び」を、次のような特徴を持った活動だと説明しているところが面白かった。
- 遊びは、自己選択的で自主的である
- 遊びは、結果よりもその過程が大事にされる活動である
- 遊びの形や規則は、物理的に制約を受けるのではなく、参加者のアイディアとして生まれ出るものである
- 遊びは想像的で、文字どおりにするのではなく、「本当の」ないし「真面目な」生活とはいくらか意識的に解放されたところで行われるものである
- 遊びは、能動的で、注意を怠らず、しかもストレスのない状態で行われるものである
特に、この定義の4つ目に関連して、「遊びは想像力を促進する心理状態」(p199)という言葉とともに、詩や物語を創造的に作り出すことが言及されているのが興味深い。僕のブログもそうだけど、学ぶことと遊ぶことが一致している。
遊び続けるためには何が必要か?という視点
また、もう一つ興味深かったのが、草野球を例にしながら、屋外での子供達の遊び(ここではスポーツ)が、体育の授業のような組織化された遊びとどう異なるのか説明している箇所である。
- 試合を続けたければ、全員を満足させ続けなければならない
- ルールは修正可能で、プレーヤー達によって作られる
- 対立は話し合い、交渉、妥協で解決する
- あなたのチームと相手チームの違いは一切ない(メンバーは常時入れ替わり可能である)
- 良いプレーをして楽しむことの方が、勝つことよりも重要
このうち最も大切なのは、最初の「続けたければ、全員を満足させ続けなければならない」だろう。組織化されていない遊びは、離脱が容易なだけに、参加者全員が楽しめるように、その都度のルールの調整が行われる必要がある。これは、同じスポーツやゲームでも、大人立ち会いのもとで組織化された遊びにはない特徴である。
僕はもともとこういう外遊びが嫌いな子どもだったのだけど(草野球は僕の人生で一度も経験がない)、この特徴はなるほどなあ、と面白かった。僕の場合は、これに近いことをトランプなどのカードゲームで経験しているのだろうけど(例えば、面白くなるように特別ルールを作ったり、小さい子が混じる時にはハンデをあげたり、とか)。こういう遊びの特徴が、子供たちの感情的な発達に果たす役割は大きそうだ。こういうことはこれまで考えたこともなかった。
そして、ここで強調しないといけないのが、上記のような特徴を持つ「遊び」は大人がいない場面で起きるということ。大人が監督者としている草野球では、何より大事な「続けたければ、全員を満足させ続けなければならない」というルールが発動しないのである(大人が気を利かせて調整してしまうから)。
これは結構大事な問題だと思う。例えば、イギリスのように「遊ぶのも親がかり」の国では、こうした遊びは発生し得ないし(下記リンク先参照)、また、小学校の先生が良かれと思っていつも生徒に混じって遊んでいてもダメだろう。先生が生徒と一緒に遊ぶというのは、大人と子供が体験を共有して関係づくりをする上では有益だと思うが、一方で、「大人の目が届かない環境」を意識的に作るのも大事。このバランスをどう保つかだなあ。
「遊び心」を妨げないために
筆者は、このような「遊び」が持つ力について全編を通して書いていくのだが、同時に子どもが熱中して遊び=学び、そのパフォーマンスを高めるポイントについても書いている。それも非常に示唆的だ。
- いい結果を出すような圧力は、新しい学びを妨げる
- 創造性になるように求める圧力は、創造性を妨げる
- 遊び心を誘導すると、創造性や洞察のある問題解決力が高まる
- 遊び心の心理状態が、年少者が論理的な問題を解くのを可能にする
「結果を出せ」「創造的になれ」というプレッシャーがかえって結果を出すことから遠ざけることは、僕も作文の授業を通じてよく経験している。高い期待は持ちつつも、長い目で見て、無用な圧力はできるだけかけないように。そのことを、「遊び」の本で再認識させられるとは思わなかった。
異年齢混合の強みを生かす場のデザイン
また、この本では異年齢の混合が持つ効果についても強調されている。具体的には、「足場がけ(scaffolding)の練習経験を得る」「年長者のすることを観察する」「ケアとサポートを得る」「育てたり、リードしたりすることを学ぶ」「教えることを通して学ぶ」「年少の子たちの存在により創造性を喚起される」といった内容だ。
どれもうなずきたくなるのだが、一方で面白いのは、ハッティの「教育の効果」では、異年齢混合の学習効果がないとされていること。
「勉強」の中に「遊び」をどう取り入れるか?
前述の通り、僕は、もともと集団での外遊びが嫌いな子どもだった(「集団」も「外」も嫌い)。休み時間は教室で本を読んで過ごしていたし(外遊びを強制する先生の時は、いやいや外に出て仲良く遊んでいるふりをしていた)、放課後は中学受験の塾に行く日々を過ごしていた。そして、僕にとって日々新しいことを勉強できる塾は学校よりも何十倍も楽しいところだった。僕にとっての「遊び」は塾のビルの中にあり、小学校の校庭や校庭の原っぱにはなかったのだ。
だから、この本が「外遊び」を当然のように遊びのロールモデルと考えている点には強い抵抗感があったし、まして、多分に理想化された狩猟採集時代の遊びをひたすら賛美する第二章は、かなり怪しげな記述が続くので、「この本は読むのを止めるべきでは…」と思ったほどである。実のところ、我慢して読み進めた本だ。
それでも後半に至って、この本は読んで良かったと思った。一心不乱に、遊ぶように学ぶことを誘発するためには何が必要なのか整理されてきたし、また、「大人のいない場所での子供同士の遊び」にどういう価値があるのかも、知ることができた。「遊び」の状態が生じるにはどうすればいいか、ライティング・ワークショップにも活かせることがたくさんあるはずである。