小学校と中高でこんなに違う! ライティング・ワークショップの「難しさ」への対処法

以前にKAIさんの教室を見にいった時(下記エントリ参照)、また逆に、小学校の先生が僕のライティング・ワークショップを見に来てくださった時の話などから、同じライティング・ワークショップとは言っても、小学校と中高では環境や条件がかなり違うなあと感じている。基本的には、小学校の方がライティング・ワークショップをやりやすいのではないか、と僕は感じている。

自然でゆったりとした空間の力。KAIさんの教室訪問記。

2017.03.08
ライティング・ワークショップについての基本参考文献の次の二つの本でも、紹介されているのは基本的には小学校での実践だ。
そこでこのエントリでは、中高と小学校での環境の違いを簡単にまとめ、僕がそれにどう対応しているのかを紹介していこうと思う。

目次

小学校と中高のざっくりした違い

まず、ざっくり言って小学校と中高では次のような違いがあるように感じている。

  1. 中高の教師には「自分の教室」がない
  2. 中高の教師は教える生徒数が多い
  3. 中高の方が使える時間が少ない
  4. 中高生は、基本的に作品を同級生に読まれるのを嫌がる
  5. 中高の方が成績のつけ方が難しい

ここに挙げたのは、いずれも、「中高の方がライティング・ワークショップをやるのが難しい」と思われる要因ばかりだ。僕がそう感じているだけかもしれないので、小学校でライティング・ワークショップに取り組んでいる方からの意見も聞きたいところだけど、一つ一つ見ていこう。

「自分の教室」がない

ライティング・ワークショップには参考図書となる多くの本が必要だし、短時間で効率的にミニ・レッスンを行うためには、掲示物もあると便利。ところが、小学校教員は、担任クラスという「自分の教室」を持っているのでそれができるけど、中高の教員は、授業の都度生徒のホームルームに移動して教えるのが一般的で、「自分の教室」がない

対応:図書館を使おう

こういう課題を克服するのにうってつけの場所が、学校図書館だ。周辺に本がたくさんあり、掲示物を毎回移動する必要がないばかりか、普通教室より広く、生徒が自分で書く場所を選べる図書館は、ライティング・ワークショップには最適の空間だと言える。僕が司書教諭になって図書館を授業ができる空間に整備したのも、ライティング・ワークショップには図書館が必要だ、という個人的思いがあったことも大きい。学校図書館以外の場所でライティング・ワークショップの授業をすることは、今ではもう考えられないほどである。

教える生徒数が多い

小学校教員が自分の担任クラスの児童だけを教えるのに対し、複数クラスの授業を受け持つ中高の教員は、200人以上の生徒を同時に教えることも珍しくない。この生徒数の多さは、教師が把握しないといけない個々の書き手のプロセスの多さ、ひいてはライティング・ワークショップの授業としての質の低下に直結するため、非常に重い課題である。

対応:生徒の進捗を把握し、ピア・カンファランスも活用する

これは、根本的には生徒数という仕組みの問題なので、教師個人でできる対応策には限りがある。でも、個人レベルの対応策としては、いかにきちんと生徒の進捗を把握するのか、ということに限る。僕は下記エントリのような仕組みでカンファランスをするようになって、だいぶ個々の生徒のプロセスがわかるようになってきた。

ライティング・ワークショップ、今回はカンファランスを頑張りました。

2018.02.24
また、それでも教師一人で頑張るには無理があるので、生徒同士のピア・フィードバックをどう組み込むのかということも大事だ。ピア活動の意義や効果的なやり方については下記エントリにまとめたので、よかったら読んでほしい。僕も時々読み直している。

そもそもメリットは? 作文のピア・フィードバック (1)

2016.10.24

どうやれば効果的?作文のピア・フィードバック(2)

2016.10.25

中高の方が授業時間が少ない

中高は、小学校(ただし高学年は除く)と比べて国語の授業時間数自体が少なく、その中に古文も漢文もあるため、現代の日本語の学習に使える時間数はそう多くない。例えば僕の勤務校では、週2コマがいいところである。この回数でもライティング・ワークショップはできるだが、生徒がスムーズに活動に入れたり、やる気を出して自分から進んで自宅でも書いてくれたりするような工夫が必要になる。

対応:準備の時間の確保、読み書きの関連付け、環境の整備

この問題にはいくつかの対応策がある。まず、アイデアを考えるのが一番大変なので、そのための時間と参考資料をあらかじめ確保すること。具体的には、三学期に小説を書く時には、二学期の最初にはそれを伝える。二学期にリーディング・ワークショップや一斉授業形式での精読の授業をやるときも、三学期との関連を意識する。プリントの裏が余れば参考になりそうな作品を掲載する。こうするだけでも、生徒は頭の中でなんとなくアイデアを考えるようになって、三学期に少ない授業数でもスムーズに活動に入れるようになる。

また、生徒が短い時間で取り組めるように、書く際の障壁を減らし、書きやすい環境を整えることも大事だ。これについては、下記エントリの「作者の権利10か条」をできるだけ尊重してあげるだけでも、随分と違うと思う。

これは素敵&大事!「作者の権利」10か条

2016.05.29

中高生は作品を読まれるのを嫌がる

これはあくまで僕の感じ方なのかもしれないが、自意識が強まる中高生の方が、自分の作品を人に読まれるのを嫌がるように感じている(小学生の方が、屈託なく自分の作文を人に見せている気がする)。僕の勤務校でも、多くの生徒が「他の同級生の作品は読みたいけど、自分の作品は読まれたくない」と感じているようだ。

対応:「共有しない権利」を保証し、教師も書く

これについては、上記の「作者の権利10か条」の「共有しない権利」(書いたものを見せない権利)を保証してあげるのが一番だと思う。授業である以上、最終的に僕に読ませてはもらっているが、クラスメートへの共有を、僕は強制しない。先に書いたピア・フィードバックも、それが有益であることを伝えると同時に、「抵抗感が強い人はやらなくて良いし、それは書き手の権利である」ことも伝えている。作品が完成したらお互いに読み合うけど、それもペンネームを使って活字のプリントアウトを使うので、誰の作品かわからないし、作品集への参加も、ペンネームで任意にしている。

もう一つが、教師が自分でも書いて、それを生徒に見せること。教師が積極的に自分の作品を開示し、書き手の不安な気持ちを共有することで、生徒の心理的ハードルを下げる効果がある。今年度のライティング・ワークショップでも、ある生徒が感想として次のように書いてくれた。

先生自らが小説やエッセイを書いて、みんなに読ませ、意見をもらう行動は、みんなの中のハードル把握や羞恥心の緩和につながり、とても意味があるものだと思います!実際、それに救われた生徒が多いと思います。

以前に下記エントリでも書いたけど、教師が自分でも書くのは「良いことばかり」なのだ。

生徒に書かせる課題を教師も一緒に書くと、良いことばかりという話。

2017.08.18

中高の方が成績のつけ方が難しい

最後にこの問題。小学校だって成績をつけるのは難しいだろうが、中高の教師の方が、成績のつけ方はより難しい。ナンシー・アトウェルは、生徒がまとめたポートフォリオに文章でフィードバックをするのみで、「個々の作品に成績をつけたことがない」と述べているが、日本のほとんどの中学・高校では、「文章のみのフィードバック」は許されないだろう。現実的には、提出物である作品を点数や何段階かでの評価をせざるを得ない学校が多いだろうし、推薦入試も絡んで、成績のつけ方に色々な制約がある学校も少なくないと思う。

対応:各校の現状に合わせよう

色々な試行錯誤を経て、僕自身は下記エントリで書いたような「大甘」な成績のつけ方になっている。かといって、これが良いというほどの自信もない。

無事に成績を出しました、ライティング・ワークショップ

2018.03.21
僕は、成績のつけ方に関しては、それぞれの現場で可能な成績、現実と妥協した成績のつけ方で良い、と思っている。それが、ライティング・ワークショップの「書き手を育てる」という理念を直接は反映しないにしても、だ。
大事なのは、ライティング・ワークショップの鍵は生徒が書いている途中での形成的評価=カンファランスにある、ということだ。完成作品に数値で成績をつけることはそう大事なことではない。そう割り切って、現実的に可能なやり方を模索するしかないのではないかと思う。

あくまで自分のやり方だけど、参考まで!

以上、小学校と中高でのライティング・ワークショップの違いについて書いてきた。しかし、もちろん断るまでもないが、小学校も中学校も高校も、学校の数だけ現場は異なる。僕が書いたのは、あくまで僕のやり方に過ぎない。たった一つの参考例でしかないことを強調しつつ、それでも、もし環境面の理由でライティング・ワークショップに二の足を踏んでいる先生方がいたら、参考にしてもらえると嬉しい。

この記事のシェアはこちらからどうぞ!