ツイッターで渡邊芳之さん@ynabe39が大変良いことを言っていた。
「代案を出せ」というのは「飯を食おう、中華はどうだ?」「飯は食うが中華はいやだ」「じゃあ何を食う?」というように「大きな方向性」で一致しているときだけ有効な話で、「飯は食いたくない」というのに「じゃあ何するんだ、代案を出せ」とはふつう言わない。
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その通りである。例えば、何かと「改革」して仕事を増やしたがる人たちがいる。中には、その案に反対すると、「批判するなら代案を出せ」と息巻く人もいる。代案も何も、あえて言えば「何もやらない」ことが代案なのだけど、そう言うと「何もしないくせに批判ばかりする」というレッテルを貼ってくる。
この事例を説明するのに「ご飯を食べる」という例はうまいなあ、と思った。そうそう、代案を出すべきのは「大きな方向性」で一致しているときだけなんだ。つまり、「大筋賛成」のとき。
「(反対するなら)代案を出すべきだ」と思った時点で「大筋賛成」なんですよ。
この例を使えば、こっちが「大筋で反対」「そもそもそれやってもデメリットが大きい」と思っている時の、先方からの「代案を出せ」要求がいかにナンセンスかわかってもらえるのではないか。
そして、なんで「代案を出せ」という側がわりと苛立っている風情なのかも、ツイートされていた。彼らが本当に言いたいのは、「自分たちは現状に問題意識を持って提案しているのに、なんでお前たちは自分と同じ問題意識を持たないのだ」ということなのだ。
だから批判すべきなのは(というか代案を出せ論者がほんとうに批判しているのは)「代案を出さないこと」ではなくて「前提に同意しないこと」なのだ。
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一学期の授業も終わりに近づき、文章を読むには中途半端な時間が余ったこともあって、高校生は野矢茂樹さんの『論理トレーニング』をやってて、ちょうど批判や異論を扱っている。この「代案を出せ」をめぐる見解も、授業の参考資料になりそうだ。授業の種ってどこにでも転がっているな。