出版自体の是非を問われている元少年Aの手記「絶歌」。
▷ 〈速報〉元少年Aの手記「絶歌」が物議、著名人の意見様々 (朝日新聞デジタル)
▷ 加害者は語りうるか 「絶歌」出版を考える (朝日新聞デジタル)
この本の出版自体に対する僕の考えは下の記事の森達也さんのものに近い。「そうして欲しかった/そうすべきだった」の線引きには慎重であるべきで、今回は「出版してほしくなかった」「遺族に事前に連絡してほしかった」は言えても、「そうすべきだった」、まして「それをしていないから出版禁止」とは言えないのではないか。
僕は法律にはまったく詳しくないので一市民の意見にすぎないけれど、まず一般論として、仮にどんなにひどいと思える言論だとしても、言論の自由は認められるべきだと思う(ミルの『自由論』で言論の自由を擁護するくだりが僕は大変好きである)。また、特に日本の場合は、こうした事件をきっかけに空気を読んだ自主規制が強く働いて「世間の空気」に認められないと出版できない世の中に容易になっていきそうな気がして、そのほうが僕はよほど怖い。もちろん一消費者として僕が批判の対象になる本を買うかどうかは別問題だし、適切なゾーニングは検討されて良いだろう。また、印税を被害者家族に寄付させるなどの措置もあるのかもしれない。ただ、最低ラインとして、出版すること自体は自由にすべきと思っている。
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さて、この本に関連して、ツイッターでほんともさん(@typhoon516)が「学校図書館で「絶歌」のリクエストが来たらどうするか」という問いを立てていらした。その後、りゅーよしおさん(@ryu440)さんとやりとりしてるので、興味あるかたはどうぞ。
Reading:児童殺傷の元少年の手記 図書館で対応分かれる NHKニュース http://t.co/Dkvvvfyl7Y
学校図書館で「絶歌」のリクエストが来たらどうするか
リンク先の記事を読むと、公共図書館でも検討中が多いとはいえ、対応が分かれているようだ。
▷ 児童殺傷の元少年の手記 図書館で対応分かれる (NHK News web)
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「図書館の自由に関する宣言」を読んでもわかるように、ここで言われている「図書館は一定の価値観や思想を持たずに読み手のためにあるべき」は、一般の図書館についてはそう言える。
▷ 図書館の自由に関する宣言(日本図書館協会)
ただし、「学校図書館」ではどうなのか、という議論は別にありうるだろう。具体的には、学校図書館法には、「学校の教育課程の展開に寄与するとともに、児童又は生徒の健全な教養を育成すること」(第2条)という目的が明記されており、それと照らしあわせてどうか、という話になる。
▷ 学校図書館法
この「健全な教養」ってなんですかね。手元の辞書(大辞林)だと「状態や考え方が偏らず普通であるさま」なんだけど、こと教育の場で「健全」というと、色々便利に使われるマジックワードなので、このへんをどっち派も自分の都合の良いように解釈するんだろうか。そもそも何を「普通」と定めるかも、政治の問題だしね…。
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実のところ、この件に関しては、僕もうちの司書さんも、結論はたぶん一致している。もし僕が「絶歌のリクエストがあったらどうしますか?」と聞いたら、司書さんがどう答えるのかもおおよそ想像がつく。しかし、その結論をなぜ僕たちが導き、価値があると考えているのか。異なる立場の人たちはどう考えているのか。それを話し合うことは、意味があると思う。話し合うことで意外と考えの違いが浮き彫りになるかもしれない。やってみよう。
(7/1追記:後日談)