名門校として知られる麻布中高の図書館を、2人の司書さんと見学してきた。麻布の国語の先生が読書に関する本を出版されていたり、生徒さんたちが高校生直木賞に参加されていたりと、読書教育に熱心であることは想像していたので、どんな図書館なんだろうと前から思っていたのだ。
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図書館は1995年に100周年記念事業として建築された建物の2・3階部分にあり、靴を脱いで入る建物内ということもあって、今でもとても綺麗に使われていた。図書館担当の先生は「一学年300人の学校なので決して広い図書館ではないんですよ」とおっしゃっていたが、充分広くてきれいな図書館である。
ただ、僕たちにとって、お金のかかった私立学校の立派な図書館を見学する時は、真似のできないハード面はそこまで関心時ではない(もちろん、ミーハー的関心はいっぱいある)。図書館で行われているプログラムや、生徒の利用の様子や、校内分掌における位置づけや、ソフト面を中心に見たりお話をうかがっている。
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今回の見学の中で圧巻だったのは、麻布の教育プログラムで「読んで書く」「調べて書く」活動が毎年のように行われ、図書館がそのアーカイブとして機能しているということだった。国語科の中学3年の「卒論」、社会科の高校1年の「修論」の話は前から聞いていたけど、他にも「教養総合」というゼミ形式の授業が山程あり、家庭科も「生活科学」「生活総合」といって多くの参考文献が指定されている。それが、もう完全に社会科の参考文献ではないかと思ってしまう充実ぶり。
率直に言って、これが麻布の教育の底力か、と感嘆した。うちの学校でも一部の学年にこういう授業があるので、これをこの規模で実施する側にどれだけの勉強量や準備量が必要かは想像がつく。よほど学識のある先生方を揃えて、かつ研鑽し続けられるゆとりを与えているのではないかと思う。
そうした麻布の一年を代表する作品を各教科から揃えたのが分厚い『論集』。毎年、先生方が編集委員となって編纂し、生徒からの寄稿も受けつけているそうだ。パラパラとめくった司書さんが「各教科からの内容を適当に寄せ集めた、という感じではないですね」と感想を漏らしていた。編集方針を感じさせる内容、ということ。
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こう書くと、図書館が授業の場として使われているように感じるかもしれないが、英語の長文速読の授業と家庭科の授業以外は、授業利用自体はあまりないのだそうだ。授業に必要な資料やその成果を揃える場所らしい。図書館は、幅広く深い生徒の知的好奇心に応えるために、裾野が広くかつ専門的な蔵書まで幅広く揃え(高校では珍しい東洋文庫もずらっと揃えている!)、生徒たちがリラックスして過ごせる場所という位置づけになっている。放課後になると中学生を中心に大勢の生徒がやってきていて、本を手にとったり、学校や塾の宿題をしたり、DVDを視聴したりと、思い思いに賑やかに過ごしていた。その様子がとても自然で、日常の中に図書館が溶け込んでいるような雰囲気で、とてもいいなあと思った。この前訪問した学芸大学附属世田谷中学校の図書館と似てる、この感じ。
学世田中にしろ、麻布にしろ、図書館が生徒の動線から外れた場所にあるので、決して恵まれた立地ではない。それでもここまで自然に生徒が図書館に集うというのは、すごいなあと思う。目立たない小さなことの積み重ねがこの空気を作っているんだろう。
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なお、麻布の図書館に関しては、やや古い情報も含むが、利用案内や図書館報、お薦め本リストなど、ウェブサイトにもかなりの情報が公開されている。興味のある方はぜひご覧下さい。