いま読んでるガブリエル・バンサンの絵本『たまご』について、中1生徒に各自の解釈を書いてもらった。書き方として、「最初に結論としてどういう物語としてこの絵本を解釈するかを書いて、そのあとにそう考える理由を続けてね」ということを指示する。いわゆる頭括型の文章だ。
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「頭括型、尾括型、双括型」という言葉はすでに教科書にも載っているくらいで、教育現場でそう目新しいものではない。また、最近はパラグラフ・ライティングを用いた論文作成法の本が多数出版されていることもあって、結論を先に書き、次にそれを支える根拠を書くという発想は、比較的受け入れられやすいと思う。読者の読みやすさという観点のみから言えば、最初に結論を書くのは、まず間違いなくいいことだ。
また、書き手の成長という観点から言っても、頭括型で文章を書くことにはメリットがある。熟達した書き手と初心者の書き手の違いとして、熟練した書き手は書く前にプランニングをすることが指摘されているが、頭括型で書くことは、この「プランニングをせざるをえない状況」を作る上でも役立ってくれる。(少なくとも手書きの場合には)結論を考えずに書き出すことはできないので、「何も考えずにいきなり書いてしまい、結局考えがまとまらずに、最後がグダグダになってしまう」事態は防げる。
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もっとも、作文の授業で生徒に頭括型で書かせることは常に良いか、というと、単純にそうとも思えない。まず、頭括型で書く以上「とりあえず気づいたことや書きやすそうなことから書き始めてあとは書きながら考える」ということができないので、書く際の心理的ハードルは高くなってしまう。教師側としては、特に書くのが苦手な子への対応が必要になるだろう。
また、あくまで僕の実感ベースの話だけど、まず結論に書き手の意識がいくせいか、書きやすそうな「安全な結論」を選択しがちで「読みやすいけどあまり面白くない」文章を生む傾向がある気もしている。プランニングが無難なものになって、チャレンジングでなくなってしまう、というわけ。もちろん、個別の対話もまじえた充分なプランニングの時間を取れれば違うのかもしれないけど、ちょっと授業中に書いてもらう程度の課題だと、そこまで時間も労力も割けない。
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だから、授業中に頭括型の文章ばかり書かせていると、型の整った読みやすい文章ができあがるかわりに、書くことによって書き手の思考はあまり深まらないんじゃないかという危険も感じている。この点、作文教育が「読みやすい文章の書き方」を教えるだけでなく、「文章の内容=思考」にまで関わるがゆえの、重点の置き方の難しさがある。
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ということで、僕自身も何がいいのかは正直よくわかっていない。頭括型で事前にプランニングしてもらうこともあれば、「何でもいいから制限時間いっぱい書いてごらん、書きながら考えればいいから」という、正反対の自由記述的な指示を出すこともある。要するに適当(笑)。
頼りない結論だけど、このへんについてはたして実証的な研究はあるのかなあ。