「自分に合う学習スタイル」は存在するのか? 疑似科学としての「ラーニング・スタイル」

もう3年前に下記エントリで「ラーニング・スタイルは存在しないの?」という主旨の記事を書いた。

えっ!?「個々に合う学習スタイル」は存在しない?

2015.04.09
このラーニング・スタイル(個々にあった学習スタイル)についての記事、最近またネット上で立て続けにシェアされてきた。どうも、定期的に話題になるネタのようだ。

「子どもにはそれぞれに合った学習スタイルがある」という誤解が世界的に広まっている (GIGAZINE)

学校や塾の先生が提唱する学習方法、科学的にはまったく意味がないことが判明 (カパライア)

カパライアの記事は見出しがおかしいけど、扱っている話題は同じです。
そこで、これを機会に、これまで自分なりにラーニング・スタイルについて読んだことをまとめておこうと思う。個人的な備忘録だけど、「ラーニング・スタイルって何?」という方はご参考に。

目次

「ラーニング・スタイル」とは何か

まず、ラーニング・スタイルとは「人間にはそれぞれ学びやすい学び方がある」という信念に基づいた、学び方のパターンのことを言う。この信念自体はきっと古くからあっただろうが、教育の世界でラーニング・スタイルが広まったのは1980年代以降のことらしい。日本ではそもそも広まってないのでピンとこないが、英語圏の資料を見る限り、movementと呼ばれる程度には流行したようだ。

ラーニング・スタイルはモデル化されたパターンのことをさすので、「個々に合った学習法」という言葉から連想されるイメージよりも、狭い意味となっていることに注意してほしい。

1980年代以降、教育の世界で広がる

例えば、イギリスの教師向け雑誌であるTES(Times Educational Supplement)の記事(2005.11.4)の解説に従えば、1982年にHoney&Mumfordの質問紙調査で、学校の生徒を「activists」(新しいアイデアに直面した時に最もよく学べるタイプ)「reflectors」(他の人を観察したり、幾つもの視点を聞いて学ぶタイプ)「theorists」(自分の知識を使って現実の複雑な状況を分析するタイプ)「pragmatists」(教室で学んだことを日常生活と関連づけるタイプ)の4つに分類したのが、ラーニング・スタイルの流行の始まりだという。このような取り組みはあっという間に広がり、2005年時点で、実に70以上のモデルが存在したようだ。

ラーニング・スタイルの代表的モデル「VARK」

ラーニング・スタイルのうち、現在、最も有名なのは「VARK」というモデルである。以下の記事によると、VARKモデルは1990年代にニュージーランドのニール・フレミングが開発した質問紙調査の分類。これが、ただの質問紙調査から、「そのラーニング・スタイルに合わせて学ぶと学びやすい」という学習法についての信念にすり替わっていったのが、現代のラーニング・スタイルだと言える。ネット記事でのラーニング・スタイルも、このVARKモデルのことをさしていることが多いようだ。

The Myth of ‘Learning Styles’(2018.4.11)

「VARK」モデルの内容

この「VARK」モデルでは、ラーニング・スタイルを次の4つに分類している。

  1. 図や動画を見て学ぶ(Visual)
  2. 聴いて学ぶ(Aural)
  3. 読んだり書いたりして学ぶ(Reading /Writing)
  4. 体験を通じて学ぶ(Kinesthetic:運動感覚の)

VARKのウェブサイトでは、簡単なアンケートに答えることで自分の「ラーニング・スタイル」を知ることができ、それに基づいたお薦めの学習法を聞くこともできる。言語で日本語も選択できるので、興味のある人はぜひやってみてほしい。

VARK

http://vark-learn.com/varkの紹介/

ちなみに、次の論文ではVARKも含めた主要な6つのラーニング・スタイルのモデルについてレビューしている。興味のある方はどうぞ。
Hawk et al. (2007). Using Learning Style Instrumentsto Enhance Student Learning

教師に人気のあるラーニング・スタイル

人にはそれぞれ自分にあった学び方がある。それに合うように学ぶと学習効率もいい。なんだか、とてももっともな話だ。それもあって、この考え方は多くの教師に支持されてきた。

例えば、「教師や生徒が脳についての神話をどれほど信じているか」を調査した次の論文では、実にイギリスの93パーセント、オランダ(アムステルダム周辺)の96パーセントの教師が、ラーニング・スタイルを信じている。これは「右脳・左脳」神話を抑えて、堂々のトップなのだ。

Neuromyths in education: Prevalence and predictors of misconceptions among teachers

https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2012.00429/full

特にイギリスでは政府によって「学習の個別化」(peasrsonalized learning)が推奨されたこともあり、ラーニング・スタイルが多くの教師によって受け入れられた。教師からすると、たった一つか二つのアンケートで、その生徒(特に勉強のできない生徒)の「よく学べる方法」がわかるというのは、とてもお手軽で魅力的だろう。70以上ものモデルが学校向けに開発されているということ自体が、これが学校で「商売になる」ことを露骨に表している。

ラーニング・スタイルへの批判

さて、このように人気のラーニング・スタイルだが、批判もまた多く上がっている。ここからは批判を紹介していこう。

そもそもこの分類は妥当なのか?

第一に、このラーニング・スタイルという発想や分類自体の信頼性の問題がある。すでに述べた通り、世間には無数の「ラーニング・スタイル」があり、それぞれが独自の用語を定義したり、独自の分類をしたりしている。その用語や分類に、どこまで信頼性があるのだろうか?

例えば、一番ポピュラーはVARKモデルの分類も、本当に妥当なのだろうか? これによると僕は「読んだり書いたりすることで学べる人」だが(これはまあ大方の予想通り)、例えば折り紙の折り方やウクレレの弾き方は本を読んでもさっぱりわからず、そういう時は動画を見るのが一番だ。当たり前の話だけど、いつでもどこでも文脈に関わらずその人にとって「最適の学習法」というもの自体、本当にあるのだろうか。時と場合に応じて異なる、という「平凡な回答」こそが妥当なのではないだろうか。

児童生徒の回答は信頼できるのか?

次に、この分類を学校で使う時には、回答の信頼性の問題もある。この調査は質問紙に基づくものがほとんどなのだけれど、いったい誰が「自分にとって最適の学習法」を間違いなく答えられるというのだろう。それまでの自分の狭い経験から、自分の「好み」を答えるのがせいぜいで、本当に信頼できるのかもわからない。例えば、小学生にVARKの質問紙をすると「体験を通じて学ぶ」を選ぶ児童が多いのだが、より詳しく聞いてみると、実際には「体験」そのものよりも、小学校で多くなされているグループ学習でクラスメートと話すのが好きなだけだった、という報告もある(TES, 2005.11.4)。

効果があるという科学的根拠がない

また、とても大事なことだが、ラーニング・スタイルは学習者の「好み」に過ぎず、その好み通りに学んだからといって、実際に学習効果が高いという根拠はないのだ。この科学的根拠の欠如については、2000年代から指摘され続けてきた。

実際に、ラーニング・スタイルと実際の成績の間に相関がなかった研究結果も存在する。これについては最初に引用したこちらの記事にも書いてあったけれど、もとになっているのは下記の英文記事。タイトルには、文字通りの「棺桶の釘」からくるnail in the coffin という表現が使われてて、「とどめをさす」というような感じだと思う。

Another nail in the coffin for learning styles

https://digest.bps.org.uk/2018/04/03/another-nail-in-the-coffin-for-learning-styles-students-did-not-benefit-from-studying-according-to-their-supposed-learning-style/

エビデンスは限られ、効果も低い

これ以外にも、先に紹介した論文のタイトルに「Neuromyths」(脳神経神話)とあったように、ラーニング・スタイルには科学的根拠がないことは、ずいぶん前から指摘されてきた。僕が2015年にエクセター大学大学院の授業を受けた時も「疑似科学が教育に影響を与えた例」としてこの話題が出てきたほどだ。

イギリスには、色々な教育方法についての効果量や費用対効果をまとめたEEFのTeaching and Learning Toolkitというサイトがあるのだが、そこでもラーニング・スタイルのエビデンスは限られており、効果も低いとされている。ラーニング・スタイルに気をとられるよりも、フィードバックをしたり、メタ認知を意識したりする方が、はるかに学習には効果的である。

learning Styes: EEF Toolkit

https://educationendowmentfoundation.org.uk/evidence-summaries/teaching-learning-toolkit/learning-styles/

生徒をラベリングしてしまう

ラーニング・スタイルについては、科学的見地とは別の観点からの批判もある。一つは、これが児童生徒をラベリングしてしまい、様々な学習方法を試す機会を奪ってしまうという問題だ。ラーニング・スタイルは、ある時点でその生徒が好きな学習法を示すだけだ。いくらでも変わりうるものである。けれど、これが「その生徒の生まれつき一番学びやすい学び方」と認定されてしまう危険が大きい。それで学び続けることは、長期的にみて、その生徒が様々な学習方略を試したり、それを通じて学び手としての自分を振り返ったりする機会を奪うことにつながる。一つの学習方略に依存する学習者を育てることは、決して好ましいことではない。

実際の教室への応用可能性が低い

もう一つは、実際の教室への応用可能性の問題である。言われてみると当たり前のことだけれど、「見て学ぶ」「聞いて学ぶ」「書いて学ぶ」をきちんと区別することなどできようがない。典型的な授業では、教師の板書を見て、説明を聞いて、それをノートに書く。全ての活動が、教室ではミックスされているのだ。ということで、仮に100歩譲ってラーニング・スタイルがあったとしても、少なくとも現状の制度、現状の教室環境では、どうしようもない。教師はせいぜい(どの生徒にも中途半端という点で公平な)「色々な学び方がミックスされた授業」を意識するくらいだ。だとすると、ラーニング・スタイルは、誰にとっても「よく学べない言い訳、慰め」としてしか機能しないことになる。

ラーニング・スタイルの今後?

おそらくラーニング・スタイル自体は、今後も一定の人気を保つと思う。ラーニング・スタイル(が仮にあったとして)を実現することが不可能な現状の学校では、それは(教師・生徒ともに)十分に教えきれない/学びきれない」ことの言い訳・慰めとして機能するからだ。こういう「受け入れる願望」があるところに、疑似科学はいとも簡単に入り込んでくる。僕たち学校現場は、そういうことをすでにたくさん経験してきた。

また、技術の進展や何かで、個々のラーニング・スタイルに対応することが可能になったらなったで、この考えはやはり一定の人気を持つだろう。たとえそれが正しくなくても、「自分にとって効果的」と「信じられる」学習法で学ぶことは、「消費者」としての生徒や保護者が歓迎するだろうからだ。

「学習の個別化」は「好みの絶対視」ではない

ラーニング・スタイルの話を読んでいて思うのは「学習の個別化」という言葉の危うさである。イギリスでラーニング・スタイルの神話が広まったのは、政府によって推奨された学習の個別化の文脈があったからだ。けれど、「学習の個別化」とは「生徒の好みを絶対視すること」ではない。ある一時点の生徒の「僕は動画で学習するのが最適だから」という言葉を真に受けて、ずっとそればかりで学ばせることは、長期的に見て、その生徒が学習者として自立することをかえって損ねるだろう。

もちろん生徒が「好みの学習方略」を持つことは構わないし(僕も持っている)、自分で学習方略を選べること自体はモチベーションも上げるだろう。でも、学び手として自立するためには、時と場合に応じて色々な学習方略を試し、それらを相対化し、比較して使いこなしていくことも大事なのだと思う。一つの学び方に依存する生徒を育ててはいけない。生徒の主体性を高めてモチベーションを上げる方法なら、ラーニング・スタイルを持ち出さなくとも、たくさんあるのだから。

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