学校が始まってすぐの3連休は、ちょっと一息がつけるありがたいタイミング。風越では、昨日から国語の授業が始まり、初回は「作家の時間」ユニット5「視点を変える」の第3回目の授業でした。今年は長期休み前に次のユニットをはじめて、中途半端なかたちで長期休みにあえて入っているんだけど、そのせいか、休み明けにありがちなわちゃわちゃする感じもあまりなく、すっと授業に入れてみんないい感じに自分の作品作りに入っていました。冬休み中に勝手に考えてくれたり書いてくれたりする子もいて、中途半端、意外に悪くないですね。
ところで冬休み中、日経ストックリーグのレポートを出す9年生(中3生)3人組に頼まれて久しぶりに本格的に、人の文章に「ダメ出し」(文章のよくない点を指摘すること)をしました。今日はこのダメ出しについてのエントリです。
作文教師の仕事のメインは「ダメ出し」ではない
筑駒を離れて小学生を教えるようになってから、僕はそんなにダメ出しをしません。まあ小学生の文章って基本的によくないところだらけなのが当然なので、ダメ出しをしだすとキリがないです(笑)。句点(マル)が打てないレベルだと、さすがに「そこは頑張ろう」と伝えますが、かなり目をつぶってます。
そして前提として、文章の良くないところを見つけるのは一番簡単です。欠点のない文章なんてないので。逆に、いいところ・できているところにちゃんと注目するのは難しい。僕もずっと中高生を教えていたので、風越学園に勤務するとわかってからは、我が子の授業参観で小学校に行く機会を活用して、我が子の授業はほとんど見ないで、ひたすら廊下に貼られていた全校児童の作文を見て、いいところ探しをする練習をしていました。それくらい、いいところを見つけるのにはトレーニングが必要だなと感じています。
いいところを見つけるよりも、もっと難しいのが、以前の文章に比べて良くなったところを見つけること。これは前の文章をちゃんと記憶したりあるいはメモしたりして、そこと比較しての伸びを言葉にしてあげることなので、一番難しい。ついうっかり目の前の文章だけを、いわば「点」で評価してしまうんだけど、本当に必要なのは、前の文章と比べて「線」としてその子の変化を評価してあげること。なので、作文の教師の仕事は、基本的にはダメ出しをすることではなく、いいところを見つけることと、前に比べて良くなったことを見つけること、その2つだと思っています。
「ダメ出し」が効果的な条件
ではどんな時にダメ出しをするのか。それには少なくとも2つの条件があります。1つは、そのダメ出しを受け入れる気持ちが書き手にあること。つまりこちらの指摘を受け入れて、文章をよくする意欲なり覚悟なりがあることです。めんどくさいな、嫌だなという気持ちの子にダメ出ししても、意味がないですからね。そしてもう1つが、そのダメ出しを受け入れて修正するだけの力がその子にあること。無理なことを要求しても挫折体験になってしまうので。
簡単に言うと意欲と能力の2つの条件が揃わない限り、ダメ出しはただのネガティブな経験にしかなりません。そして僕が普段相手にしている小学56年生に、その2つがどちらも揃っていることは、残念ながら(?)まれです。普段の作家の時間で、僕がダメ出しを重点的にすることはほとんどないのはそのせいです。逆にダメ出しをする時には、「この子はきっと応えてくれるはず」という信頼のもとにやっている。そして、ダメ出しするにしても、一つ、多くても二つに押さえます。そして、他の子よりも要求水準をあげる場合には、「あなたにはハードルをあげるね」と宣言してからダメ出しをします。
久しぶりのガッツリダメ出しモード
そんな僕が、ガッツリとダメ出しをすることはほとんどありません。ですが、今回の日経ストックリーグの中学3年生たちは、僕も過去に関わった子たちで、読み書きの力が十分にあることを知っていたので、「彼女たちなら大丈夫」と久しぶりに本気でガッツリとダメ出しをしました。文章全体の構成がストーリーとして一貫性を持っている必要がある、という大きな構成レベルの話や、見出しのつけ方、要旨は「映画の予告編」ではないという話。それから「〜という」「〜のような」などの冗長な表現を削除して文章を短くするミクロなレベルの話。ここができていない、ここがわかりにくい、という指摘を、久しぶりにガッツリとしました。よくあきらめずにギリギリまで注文に答えてくれたなと思うけど、その甲斐あって、文章はぐっとよくなりましたね。それ以上に、「要旨とは何か」など、彼女たちが小学生の頃には全くできなかった話を伝えて、それが伝わった感じがあったのがよかった。「またボロボロに撃ち落とされた〜」と嘆く子を、「不死鳥のように灰からまたはばたいておいで」と笑顔で見送ったりするのも、まあ楽しかった。
ガッツリダメ出しの良いところ
ふだんの僕は、自分の持っている文章作成知識のほとんどを、子どもに伝えていません。まあ、小学生相手だと、そのレベルに達していないことがほとんどなので、その子のできることをベースに関わるほうが、明らかにいいんですね。書くことの上達には、書き続けないと仕方ないし、まずはその意欲を持ってもらうことが大事なので。
僕がこのレベルで子どもの文章にダメ出しをしたのは、風越に来て5年間で今回が2回目(ちなみに1回目は、やはりこのコンテストに応募した僕の長男が中2の時「文章を見てほしい」と言ってきたときでした)。まあ、言うなれば、そのくらい実力を認めている子じゃないと、ガッツリしたダメ出しはしません。
でも、こういうダメ出しは、それを受け入れる意欲と能力が書き手の側にありさえすれば、ぐっとそこで文章のレベルを上げることができるし、書き手の書くことへの理解も深まるので、けっこういいものだなとも感じました。レポートのような、ある程度お作法が決まっているジャンルでは特に、書き手が本気で文章を良くしたいと考えている時には、ダメ出しの教育的効果は大きい。またやってみたいものです。次に僕のダメ出しを受け入れてくれる子がいつ出てくるか、なんとなく楽しみ(笑)
コメントを残す