インクルーシブとは、「僕」が他者と繋がる環境を整えること(かもしれない)。

今週から僕の夏休みも本格化してきました、万歳! 毎日とは言わなくとも、夏休みくらいは積極的にブログを更新したいと思います。今日のエントリは、この夏の個人テーマの一つである「インクルーシブ教育」について。インクルーシブ教育といっても僕は特別支援教育の人でもないし、専門的知識もないので、とても「ふわっ」とした話。でも、最近ようやく、インクルーシブって「僕が他者と繋がる環境を整えること」なのかも?と思うようになった。そんな現時点での理解を書き留めておきます。詳しい方からするとあまり役に立たないかもしれない、自分のためのエントリ。

目次

きっかけは、昨夏の合同合宿

実は、校内の仕事の関係上もあって、去年から少しずつ「インクルーシブ教育」に関わって(というよりも学ばせてもらって)いる。大きなきっかけは、昨年の夏に下記エントリの合宿に関わったこと。この夏は連日の宿泊行事の疲労で耳の病気が再発したこともあって、今年は僕は行かないことになったのだけど、それでも自分の意識を少し変えてくれた合宿だった。

夏休みの貴重な経験! 普通学校と特別支援学校の合同合宿

2017.08.10
この合宿が一つのきっかけで、それ以降、ダイアローグインザダークに行ったり、下記の発達障害やディスレクシアに関する本を読んだり、目の前の具体的な生徒の問題について養護教諭の先生に相談したり、自分のペースで理解を少しずつ深めてきた。
ただ、そういう僕の意識の根っこにあったのは、あくまで発達障害や生まれつきの特性を持っている生徒のために、自分に何ができ、どんな合理的配慮ができるのか、ということだった。

「インクルーシブ」に対する見方を変えた一言

そんな僕の「インクルーシブ」に対する見方が大きく揺さぶられたのが、この夏に再読した「授業づくりネットワーク」にあった赤木和重さんの次の言葉である。

インクルーシブ教育の意義は、一人では想像しえないクリエイティブな学び・遊びが創発するところにある。(p23)

異質な他者同士が出会うところに、創発的な価値が生まれる。インクルーシブとは、その創発が起きる物理的・精神的障害を取り除くことである。この考え方はとても面白かったし、大事だと思った。この考えを受け入れれば、その障害を取り除くことで利益を得るのは、「障害当時者」だけでなく、僕でもあり、あなたでもあるのだ。なぜなら、他者と出会う機会を阻害されることで、僕たちは自分の物の見方を相対化する機会を失うのだから。インクルーシブ教育とは、ほかならぬ僕が、他者と繋がるための環境を整えることでもあるのだ。こう考えると、インクルーシブ教育が、俄然、「誰かのためにやってあげること」ではない、「自分の問題」になってくる。

余談だけど、この考え方は、ジョン・スチュアート・ミルが「自由論」の中で、なぜ言論の自由を認めないといけないかを主張したことを思い出させる。

また、この赤木さんの言葉は、インクルーシブ教育推進の美名のもとで「異質な他者との出会い」とは本質的に異なる「多様性の抑圧」が進んでいないかを自問するのにも使えそうだ。例えば、インクルーシブ教育推進の名目で「誰にでも学びやすい授業進行や板書のあり方」が「一律に」課されることに僕はどこか違和感があるのだけど、その理由を今なら言葉にできる。問題はそこに、「異質な他者と出会う契機がはらまれているかどうか」なのである。

赤木さんも、「ユニバーサルデザインの授業づくり再考」(「教育」2017年2月号)という論考の中で、「ユニバーサルデザイン」の推進が、違いを尊重して、その違いをつなげていく視点の欠如につながる可能性があることを指摘している。
ただ、僕は以上のことを頭のなかで理屈としてわかった気になっただけで、今のところ全然、何も、ちっとも実践できていない。だって、もともと引きこもり系の僕には、他者と繋がるって面倒くさいもの(笑)だから、この言葉を書き留めて折に触れて読み返すことで、少しずつ自分のものにしていくプロセスが、これから僕に必要なこと。

この夏は、色々な取り組みを見学&体験

その一助として、この夏はいくつかの取り組みを見学したり、お話をうかがったり、参加させていただいたりしている。夏休みの社会科見学ですね。

異言語Lab.「異言語脱出ゲーム」

http://igengo.com
異なる言語を持つ者同士が協力してリアル脱出ゲームをする異言語Lab.。これ、異質な他者と協力して問題解決する点がとても面白そうで、自分でも体験したいと思って9月の異言語脱出ゲームに申し込んだ。

LITALICO

http://litalico.co.jp
「障害のない社会をつくる」をミッションに掲げて急成長しているLITALICO。ありがたいことに、LITALICOワークス、ジュニア、ワンダーの3つの施設を案内していただいた。

津田塾大学のインクルーシブ教育支援室のワークショップ

これは勤務校でインクルーシブ教育を推進している同僚のお誘いで参加したワークショップ。「視覚情報」「聴覚情報」「触覚」などのグループに分かれてそれを統合して問題解決をはかるワークショップだ。ジグソーメソッドです。

他にも、勤務校そばにある二つの福祉施設も訪問して、そこでの取り組みや今後の交流可能性についてのお話をうかがった。こちらはまずは職員同士での交流を深めていきたいと思う。

自分とどう向き合えばいいのか

実は、こういう経験の中で気づいたのが、自分の心の中にも、大きな障害があるということ。そもそも他者と繋がるのが面倒だったり、苦手なことに尻込みしたり、何かのきっかけで心を閉ざしたり…。そういう自分の心にどう向き合うかも、インクルーシブを考える上で目を背けちゃいけない、大切なことなんだと思う。

ただし、それは僕がもっとオープンマインドになればいいとか、社交的になればいいとか、そういう話じゃない。それだと、その環境が僕自身にとってインクルーシブではないから。簡単にいうと苫野一徳さんの「自由と自由の相互承認」なのかもしれないが、言うは易し、行うはなんとやら…である。

赤木和重さんの本を読みます

この夏、これからは再読を含めてインクルーシブ教育の専門家である赤木和重さんの本を読む予定。今は次の本を読み始めてるけど、さっそく面白い。「教師(保育者)から見える出来事」と、「子供から見える出来事」の違いが見えてくる一冊だ。いずれ感想を書こうと思う。

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