ツイッターで流れてきた記事が面白かったのでこちらで簡単に紹介。イギリスの合計411の校長先生の学校改革について7年間にわたって研究した結果、学校を良くする校長先生はこんなタイプだとわかったよ、というお話だ。ツイッターでも ultraviolet @raurublock さんという方が連続ツイートされていたので内容がかぶってしまうが、自分用のメモとして書いておきたい。
目次
Duke: Save Our Schools
http://www.dukece.com/insights/4668/
大規模な校長のリーダーシップ調査
この調査、イギリスの18の異なる地域にある160の学校を対象に、7年にわたって調べた大規模なものだ。411人の校長にインタビューをし、彼らの学校改革の成果を64の変数や24の評価基準で分析した結果、校長先生を5つの類型に分類し、どのタイプの校長がどういう成果をあげたのかを報告している。
まず、この研究での校長先生の類型は、以下の5つである。
- 外科医タイプ
- 戦士タイプ
- 会計士タイプ
- 哲学者タイプ
- 建築家タイプ
それぞれ、どう違うのかを見ていこう。
「集中投資せよ!」の外科医タイプ
まずは、予算を短期的に重要なところに移植せよ!という形で改革を進める「外科医タイプ」の校長。体育科や宗教科の教師が多い彼らは、年収も高い社会的成功者で、メディアや政府にももてはやされる存在だ。例えば、成績の悪い生徒や学業に関係のなさそうなアクティビティなどは切って捨て、優秀な教師を受験学年に投入する(いやあ、こういう私立学校の事例をリアルに知ってるわ…)。
こういうタイプの校長は、1・2年の短期的な成果を劇的に向上させるが、校長が学校を離れ、リソースを投入されなかった学年が最上級学年になった頃に悲惨な結果を迎えることになる。
「削減!削減!」の戦士タイプ
戦士タイプの校長には、化学科や情報科の教員がキャリアの早い段階で事務系に転向してなることが多い。彼らは、学校が肥大化して動きが鈍く、お金をムダにしていると考える。学校運営を大きなプロジェクトの運営と同じように考えて、コストと締切を重視するため、サポートスタッフや、「無意味な」アクティビティなどの、ムダをどんどん削減し、コストの低いものに置き換えていくのだ。
結果、もちろんコストは削減されるのだが、教師は疲弊し、やる気も失って、外科医タイプと同様に悲惨な結果を招くタイプの校長である。
「儲けましょう!」の会計士タイプ
投資と利益の獲得に走るのが「会計士タイプ」の校長。数学科教員出身者が多く、数字に明るくて、どうすれば収益をあげられるかに敏感な彼らは、より利益を得て、より多く投資をすれば、大きくて強靭な学校になると考えがちだ。それで、収入を増やすために小学校を作ったり、学校の敷地を他に貸出したりする。
このタイプの校長のもとで、収益はもちろん増大する。ところが、もともとそこに注力していないので、学力は向上しない。学校が豊かにはなるが、良くはならないタイプの校長である。
「議論しよう!」の哲学者タイプ
もっとも一般的なのがこの「哲学者タイプ」の校長。英語や言語の教師出身である彼らは、自分のことも「リーダー」というよりも「経験豊富な教師」と捉えていて、教えることに情熱があり、教授法のメリットについて議論することを好む。
このタイプの校長は、教師たちにも仕事の重要性を伝えるので、すこぶる評判が良い。この校長のもと、教師たちは授業見学に出掛けたり招いたりいて、アイデアや授業法を共有する。なんだかとても良さげだが、ところがどっこい、結果は出ないのがこのタイプの校長である。生徒の態度もさして変わらず、経済的にも、学力的にも、学校は大きく変わらないままなのだ。
「デザインを変えよう!」の建築家タイプ
5つの校長の類型の中で唯一結果を出すのが、この「建築家タイプ」だ。歴史学や経営学出身であることが多く、民間企業で10年程度働いたのちに社会貢献の意思で教育分野に参入してきたことが多い。
彼らは、学校がうまくいっていないのは学校のデザインの失敗や、地域からのサポートの少なさが原因だと考える。そこをあらためることで結果を出すのだ。まずは生徒にポジティブな姿勢を植え付け、収益をあげ、地域と協力して生徒に機会を与え、他の文化と交流する機会を増やし…彼らが「教え方」に焦点をあてるのは、その後のことなのだ。
この建築家タイプ、広い視野で学校をとりまく環境について考え、結果を出すまでに3年〜5年かかることが多い。「外科医タイプ」のようにもてはやされることのない代わりに、彼らの出す結果はその後も継続する。まさに、「ビジョンのあるリーダー」なのだ。
もっとも素晴らしい校長は目立たずに学校を変える
とまあ、なかなかおもしろい話だった。仮に自分が校長になったら(100%ならないけど)、典型的な「哲学者タイプ」だろうなあ。授業のことしか考えてないようなタイプの…。こういうのを見ると、校長先生の存在の大切さというのを思い知る。
この研究のインタビューについて、面白いことが書いてあった。インタビューでは自分の成功を語っていたにもかかわらず実際には効果をあげてない校長や、一見とてもすばらしいのにその効果が彼らが辞めた後には続かなかったという校長が、この研究では多くいたらしい。そして、実際に成功したのは、彼らではなく、学校をそのコミュニティのための場所へとデザインしなおした、物静かなリーダーだった、というのだ。なんだか含蓄のある話である。日本でもたぶん、こういう素晴らしい校長先生が、メディアに出てこないところでいらっしゃるんだろうなあと思う。
その他、この記事で書かれていた話題としては、以下のような話題もちょっと気になった。こうした話題も含めて、よかったらぜひもとの記事を読んでみて下さい。
- 教え方を変えれば学校が良くなると思われ勝ちだが、それは間違い。まず大切なのは、学校文化や生徒の姿勢を変えること
- 15人学級は、それは効果的なのだが、お金がかかる。学ぶ姿勢のある生徒たちなら30人学級でも同じ効果は出せる
- 5歳から18歳までの小中高一貫教育は、学ぶ姿勢を早期に身につけさせられるので効果的
- ゼロ・トレランス・ポリシー(厳罰主義)は一時的な効果しか出さない
大変よくわかる話でした。
次々と校長が変わるところにいたこともあり、なるほどと思います。
学校という規模で、時間がかかっても大きく変わり、しかもそれが持続することを成功と考えると、やはりそこかなと思いました。
大きな木を育てるのにも似ているかなと思います。すぐに見栄えの変わる枝や葉っぱの手入れよりも、まず土壌や水の加減や日当たりを考えてそこから着手する感じ。
この調査では校長がいなくなったあとにも効果が継続するかどうかを見ているのが面白いですよね。長期的な視点で。
そうですね。でも、それって実は当たり前のことかも。授業でも、似たことが言えるように思います。授業中はとてもすばらしく生徒が活動していたりしていても、そのあと家に帰って、その後数週間後、さらに。。とみるとどうなのかな?と思うことがあります。一方、ちょっとした教師の一言が一生残ることもあったり。
授業実践をまるで教師の「作品」のように思っている人がいたり、そう考える時期があるように思いますが、実際はわりとそういうものでもないように思います。