今週、中学の授業でライティング・ワークショップが始まった。今学期は2000字のショートストーリーを書くのが課題である。始まったばかりの授業の中で、改めて「表現を評価されること」って人を不安にさせるのだなあと感じた。今日はそのことについて書いてみる。
不安な気持ちを見せる生徒たち
この学年ではライティングの授業は初めてということもあり、今はカンファランスを通じて生徒の様子を手探り中といったところ。40人学級なのでカンファランスは十分にできず、10人くらいの生徒に大福帳をもとにして話を聞きにいくかたちになる。
前回も、大福帳で気になるコメントのあった生徒を中心に、少しずつ話を聞いていった。すると、やはり「書くこと」「表現すること」、もう少し正確に言うと、「自分の表現を評価されること」は人を不安にさせるのだな、と思う場面に多く出会った。とてもつまらないものを書いているんじゃないかと不安な生徒、字数が少なすぎるんじゃないかと心配な生徒、「いや、本当にクソですよ」と言いながら作品を見せる生徒…みな、「表現を評価されること」の不安から、身を守ろうとしている。自分の作品やアイデアに良いところがあるのに、それに自信を持てていない。
書くことや表現することには楽しみもあるはずなのに、それを評価されるとなると、途端に書くことは人を不安に陥れる。これって、誰にでもあることだと思う。まして、ショートストーリーのような「表現」は、ハードルが高い。
不安を解消するためのカンファランス
そこで、今週のカンファランスは基本的に「話を聞く」「不安を解消する」ことが中心になる。別にそうするよう意識していたわけではないけれど、生徒に「それはダメ」みたいなことは一言も言わなかったと思う(「テーブルは静かに書きたい人のための場所だから、おしゃべりしたい人はそれ以外の場所で」みたいなことは言ったけど)。
とにかく、彼らの不安を解消して、「安心して書ける」ようにすることは、書くことにおいてとても大事だ。他人との比較にびくびくしたり、厳しい時間制限を課せられていたり、点数で序列化されたり、そういう中では安心して書くことはできないし、冒険もできない。
「なんでも面白がれる」境地にたどり着きたい…
カンファランスのことを考えるときに思い出すのは、2012年、北海道の石川晋さんのライティング・ワークショップを見に行った時のことだ。彼は「僕は生徒の書くものならなんでも面白がれる自信がある」とおっしゃっていた。これは、当時の僕には思いもよらなかったことだ。
石川さんは、どんな作品にも、その向こうにいる生徒の姿を見ている。だから、作品一つの質にこだわらずに、その背後にある書き手の姿を面白がることができる。「書き手を育てる」本物のプロセス・アプローチの教師だなあと思う。僕はそこまでは到底いかないけれど、それでも、生徒が安心して書ける環境を、少しでも整えていきたい。今学期はこの学年初めてのライティング・ワークショップだし、そこが目標かな。遠い目標だけど。