「サンタは本当にいると思うよ」

娘は小学三年生。去年あたりから「ねえ、サンタって本当にいるの?」と言い出した。「どうやって家の中に入るの?」「どうして私達の欲しいものがわかるの?お父さんが伝えてるの?」

去年のクリスマスイブの夜、妻は「いないことを証明できる?それは不可能だと思うわ」と言った。彼女らしい、完璧な回答だ。僕は「いるよ、サンタクロース協会だってあるんだもの」と言って、去年はgoogleのサンタ追跡を一緒に見たり、パラダイス山元の本を見せたり、バージニアにあてた有名な社説の話をしたりした。

そういう僕の話を、娘がどういうふうに聞いていたかはわからない。思えば、僕が「サンタを見てみたい」という純粋な好奇心から、布団の中で懐中電灯を持って寝ずに待機し、夜中にドアをあける父親を照らしてしまったのも、小学二年生のころだ(僕にはその年を最後に、サンタはこなくなった)。きっと娘の周囲には、「サンタなんて嘘。だけど、信じたふりをしたほうが得」と公言する子もいるだろう。娘だって、もう立派に、色々な顔を使い分けられるほど成長している。

去年の娘の質問攻勢を思い出しながら、なんとなく「サンタって本当にいるんだろうな」という思っている自分に気づく。お父さんは、サンタは本当にいると思うよ。だから僕たちが一緒になってこんなふうにサンタのことを話題にしてるんじゃないか。

もちろんプレゼントを注文するのも、夜中に枕元まで運ぶのも、サンタクロースその人ではない。それは、僕も妻も知っている。けれど、それは単にサンタの代役がいるだけのこと。娘がプレゼントを頼むのも、それをうけて代役が役割を果たすのも、やっぱりサンタクロースがいるからで、サンタの存在をめぐる僕たち家族の会話だって、サンタに見守られて、そこにある。

これは去年にはなかった不思議な感覚だ。神様を信じるのって、こういう感じに近いんだろうか。目には見えない、でも、この場を支えるものとしてあるサンタクロース。また娘に聞かれたら、去年よりもずっと素直に、「サンタクロースはいると思うよ」と言える気がする。お父さんも、一時期は疑ってたんだ、あんなの作り話だって。でも、最近、サンタはやっぱりいるんだって思えるようになってきたな。なんでだろうね。

今年も家族で過ごすクリスマス。サンタさん、いつまでもいて下さいよ、頼みますよ。

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