簡単ではなさそうな「対話で学びは深まるか?」問題

新しい学習指導要領に向けた審議のまとめに「アクティブ・ラーニング」に追加される形で、「主体的・対話的で深い学び」という言葉が登場した。さて、「対話」することは学習に役立つのだろうか? 今や「対話」という言葉にはそれだけでポジティブなイメージがつきまとい、「対話的な学びは良いのだ。なぜなら対話的だからだ」みたいな議論になる危険もある。そこで、実はまだまだよくわからないことが多いよ、という話を書きたい。結論は本当にそれだけ。

対話をすると学びは深まる?

「対話的な学び」については、以下のような資料で見られる。

教育課程部会 教育課程企画特別部会(第19回) 配付資料

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/siryo/1375316.htm

次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)のポイント

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/08/02/1375316_1_1.pdf

次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)のポイント 参考資料

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/08/02/1375316_2_1.pdf

こうした資料では、「対話」という言葉が、

多様な人との対話や先人の考え方(書物等)で考えを広げる「対話的な 学び」

子供同士の協働、教員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自らの考えを広げ深める 「対話的な学び」が実現できているか。

という文脈で説明されており、「書物」「先哲の考え方」もまた「対話」の契機として意識されている。かなり広義の「対話」の説明である(まあ狭義にしてしまうと現場が混乱するので穏当だろう)。

僕はこのように理念的に「対話」を広く捉えること自体は好きなのだけど、それだと「なんでも対話です!」になってしまう危険もあるので、ここでは「対話」という言葉を狭くとらえて、学校の授業でイメージしやすい、グループワークなどでの少人数の生徒同士の対話について考えてみよう

対話をすると学びは深まる?

あえて基本的な質問をしたい。対話を学習の手段として捉えた時に、「対話」は本当に学習に効果的なのか? あるいはどういう文脈で効果的なのだろうか?

このエントリではシンプルに、対話をあくまで「学習の手段」として捉えたい。「教室で対話をすべきだ、なぜなら対話自体に価値があり、経験すべきものだからだ」という議論が別の水準であるけれど、そこはひとまず置く。問うているのは、あくまで教科内容を習得する手段として対話が効果的かどうか、である。

わかりやすい例題として、個別に何らかの問題を解くのと、グループで対話をしながら問題を解く場合を考えよう。

A君、B君、C君が3人グループを作って、協力して相談しながら問題を解くとする。実は事前に彼らは同程度の難易度の問題を個別に解いていて、結果は、A君:9点、B君:6点、C君:3点だった。彼らはグループで対話しながら解いた結果、何点を取るだろう?

もしも彼らのグループが15点くらいをとったなら、さすがに「誰か一人が頑張った」ではすまない、「対話による効果」がありそうだ(ただし、本当にこの「対話」が「個人の学び」を深めるのかを確認するには、他の要因を排除する必要があるし、この後で彼らに個別のテストを再び行い、そこで得点が上昇するのかどうかを見る必要があるだろう)。

でも、グループ得点が9点だったらどうだろう。この場合は対話は有効だったのだろうか。もしかしてB君やC君にとってはそうでも、A君がそれで「一人でやるよりも深い学び」を得たのかは、怪しいところがある。

中には、「エースのA君に任せてただのり」みたいな態度をB君とC君がとり、それでA君がやる気をなくした結果、グループ成績が8点以下になるケースもありうる。

こういう事例がたくさんあることは、僕たち学校教師は、日々身をもって体験していることだろう。当たり前だけど、グループで対話をすればそれで良いなんて、そんな単純なことはない(念のためいうと、文科省もそんなことは言っていない)

対話研究の動向

Howe & Abedin(2013) は、1972-2011年のうち225の小中学校での研究を対象に、教室における対話研究のレビューをしていて、それで近年の英語圏の教育における対話研究の動向がつかめる。それによると、対話研究はアメリカとイギリスの論文が圧倒的で(英語なので当たり前)、教科は国語(英語)、数学、理科が多い(哲学対話もある)。また、こうした研究の多くは教室全体の対話や教師と生徒による対話を扱っており、生徒同士のグループでの対話についての研究は、90年代以降増えているとはいえ、実はまだまだこれからの面もありそうだ。

生徒同士の対話に注目した研究の多くは、対話することのポジティブな効果を認めている一方で、どのような対話が良い対話かについての概念化が不足していて、難点がある。また、9つの研究が少人数グループでの生徒同士の対話を分析しているが「それぞれの視点の交換を含む時」に対話が有効に機能することが指摘されている(Howe & Abedin, 2013)。一方で、何もしないでいると生徒の対話はそうならず、生産的でも協力的でもなくなるということも指摘されている (Alexander, 2008; Mercer & Howe, 2012)。

では、どうやって有効な対話が生じるようにすれば良いのだろう。いくつかの対話のモデルや、そのモデルを教える教育プログラムが提案され、それを教えることで対話の質が向上するのだという提案がなされている。1990年代からのケンブリッジ大学のマーサーらが開発したThinking Togetherプログラムが有名だ(下記エントリを参照。マーサーの研究についてはいつかもうちょっと書いてみたいと思う)。しかし、この分野はまだまだ研究すべきことが多く、どのように対話の質を測定するのかということについても、議論がいろいろとある段階なのだ。

[読書]Mercer, N. & Littleton, K. Dialogue and the Development of the Children's Thinking

2015.01.07

エクセター大学の先生たちも研究中

こういう研究動向の中、エクセター大学の対話研究のリサーチチームの先生たちも、今、効果的なグループ対話を測定するためのモデルづくりをやっている(上で用いたA君B君C君の事例も、この研究のやり方を参考に書いたものだ)。

彼らの研究は興味深くて、グループでの対話がプラスに働くグループと逆効果になるグループの間で、どんな差異があるのかを質的量的に記述しようとしているのだ。この論文はもうすぐ刊行になるけれど、教育における対話研究って、こうした泥臭い問いの探究がまさに行われているところなのである。このエクセター大学の先生たちの仕事については、いつかこのブログでも紹介できたらと思う。

まだまだわからないことが多い

僕の関心は「ライティング×対話」が中心。でも、対話研究はまだまだわからないことが多いなあという印象だ。その分、勉強のしがいもあるのだけど、あまりうかつに「対話を通じた深い学びが最強!」とかは言えないなあというのが僕の今のところの印象である。少なくとも、無条件に対話を「良いもの」と扱っているような実践報告については、ちょっと距離を置いて冷静に見た方が良さそうである。

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2 件のコメント

  • いつも大変参考にさせて頂きながらブログを拝読しております。この9月からIOEにてMA TESOLに参加する者です。「対話を通じた深い学び」という耳障りの良さ?に飛びついたものの,ご指摘の通りの慎重な議論と検証が必要かと感じました。
    ぜひエクスターの研究内容もフォローさせてしたく思っております。続編記事を心待ちにしております。

    • ありがとうございます。エクセターの先生方の研究はlearning and instruction誌にもうすぐ出版されます。ブログでも触れますね。それにしてもこれからIOEでご留学とは羨ましいです!僕の友人の国語教師もIOEに留学してましたが、とても良かったとのことでしたよ。良い一年を!