勤務先の軽井沢風越学園56年生には定期的に「デジタル・シティズンシップ」の授業があって、スタッフで分担しながら授業を作っている。先日その「デジシティ」の授業でYouTubeやROBLOXがユーザーを惹きつける仕組みを学ぶ回があって、僕ともう一人の担当スタッフで参考書として再読したのがこちら、エミリー・ワインスタイン&キャリー・ジェームズ(豊福晋平・訳)『スマホの中の子どもたち』。大人が心配して制限や禁止するのではなく「まずは今の10代の子どもたちが生きている現実を知ろう、その上で大人ができることを考えよう」という趣旨の本で、いまの青少年がどんな「現実」を生きているのかがよくわかる。デジタルデバイスの利用積極派も慎重派も、基礎となる一冊として目を通すべき本である。
「スクリーンの向こう側の世界」をのぞく
本書の素晴らしい点は、とにかく「若者たちのスクリーンの向こうに見える世界」を徹底的に拾っていること(ちなみに本書の原題は「Beyond Their Screens」である)。大人から見てこれは好ましい、これはダメではなく、若者たちがどんな世界を生き、どんな困難を抱えているのかを書いていることだ。対象は10代の大規模な調査とヒアリング。若者の世界を覗く際には、「発達のレンズ」(10代の脳がどのように発達するか)、「生態のレンズ」(10代をとりまく環境がどのようになっているか)、「デジタルのレンズ」(新しいテクノロジーがどのような行動をもたらすか)の3つのレンズを用いて、デジタルの時代の友情、炎上、セクスティング(性的な画像のやりとりなどの性的トラブル)、政治、デジタルタトゥーなど、さまざまな話題について、そこでの若者たちの実態が描かれている。
大事なのは、単に困難な事例だけでなく、スマホの利用が若者のウェルビーイングの増進に寄与している事例もいくつも紹介されていることだ。SNSのつながりのプラス面などは、大人が見落としがちなところである。いずれにせよ、ここでの詳細な実態が本書の最大の長所なので、ここはあまり詳しく書かないでおくが、ヒアリング調査をベースにした多数の若者たちの声によって、僕たち読者は「彼らの世界」を知ることができる。
その上で、大人には何ができる?
そういう若者たちの実態を知った上で、大人には何ができるのだろう。筆者は、若者たちとやりとりする上で、大人が次のような態度で臨むことを提案する。
- 「決めつける」のではなく「問いかける」
- 「呆れる」のではなく「共感する」
- 「戒める」だけでなく「複雑さを受け入れる」
これも、より詳細には本書を購入して読んでほしいが、こういった具体的な指針は、10代の子に向き合う教員や保護者にとって、非常に参考になるものだ。デジタルデバイスには、困難もあるが、メリットもある。だから最終的には、子ども自身が自分の答えを見つけるとゴールに向かって、親や教師にどのような手助けができるのか。本書に一貫しているのは、デジタルメディアに対する子どもの主体性を育てるために、親に何ができるのかという視点なのだ。そういう視点で子どもに関わりたい保護者にとっても、必読の書と言えるだろう。
でも….今の自分は「制限」派です。
ところが…「え、ここまで書いてそれ?」と思われそうだが、本書を読んだ僕の「本音」をちゃんと書いておきたい。本書の帯には、「『大切なのはスクリーンタイムの抑制』ではなく、『主体的にコントロールする力』」、「制限や禁止よりも、彼らの声を丁寧に聞いて、デジタル・エージェンシーを育てよう」とある。これは著者や訳者をはじめとする本書刊行に関わった人たちの主張だと思うが、にもかかわらず、僕はこの意見に最終的に賛同はしていない。
むしろ、この本で指摘された10代の特徴(行動を抑制する前頭葉が未発達であることや、その場の人間関係が重要に感じることなど)を踏まえたときに、どんなにメリットがあったとしても、「大人よりも困難の度合いが高い10代の時期にスマホを渡す必要がそもそもないのではないか」という「制限」論の立場を僕はとっている。これは、僕の姿勢が筑駒勤務時代とは大きく変わった点だ。理由は、対象となる子どもの年齢が変わったこともあるが、昨今のオンラインゲーム、ショート動画、SNSのおそろしいほどの「機能の充実」ぶりが大きい。もはや人間が、とりわけ制御機能が未発達な10代の子が自分の意思でコントロールできるレベルではない、と考えるようになったのだ。
となれば、一定年齢までは社会的に使用に規制をかけて、早くとも10代後半以降、生物的に衝動をコントロールする機能が発達してからデジタルデバイスを使い始めれば良い。それが今の僕の立場である。最近、オーストラリアでSNSの利用に年齢制限がかけられたことが話題になったが、これは、「子どもがデジタル社会の現実を生きている」のであれば、「その現実を生きる主体的な力を育てる」本書の立場よりも「現実そのものを(社会的規制によって)変える」動きと言えるだろう。登場した当初は自由だった飲酒・喫煙・自動車の運転などに一定の年齢制限がかけられたのと同じで、今の僕はそっちを支持する立場である。
これは本書が推奨する姿勢ではないし、軽井沢風越学園の方針とも違う。ただ、僕は個人(保護者)としては制限派であり、自分の子どもにはその姿勢を貫いている。スマホを渡したのは高校生になってからだし、渡したあとも、部屋には持ち込ませないし、オンラインゲームもダウンロードさせていない。そういう保護者に対して、本書の筆者たちはどう説得しようとするのだろう。授業者としての立場と保護者としての立場を行ったり来たりしながら、そんなことも考えながらの読書になった。


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