書き手の成長のプロセスに敬意をもつことの大切さ。

3月上旬、幼稚園スタッフのちかさん(奥野千夏さん)が、僕の授業を見に来てくれました。ちかさんは、開校初年度の2020年、KAIさんと一緒に小学1・2年生の国語を受け持ってくれていたスタッフ。実は、当時のその子たちが今年は56年生となって僕が受け持っているわけ。授業を見てもらった後の振り返りの場での詳細はここでは書かないけど、その時の話題の一つに、「書き手の成長」がありました。今日のエントリは、それについて。要約すると、書く力の熟達ってふしぎで予想できないよね、という話です。

3月になって、よく雪が降ります。東信地域で雪が降るのは冬の終わりというらしいので、そろそろ春なんですねえ….

色々な熟達のタイプがある。

文章の熟達の道筋は、明確に描くのが難しい。56年生の子たちを思い浮かべても、その道のりはさまざまです。

順当に文章技術を身につけるタイプ

もちろん、わりと順調にステップをふんで文章技術を身につけたり、量が増えたりする子もいます。典型的なのは、もともと一定以上の読む力や書く力があり、読書量も豊富で、ミニレッスンで教えたことも吸収するタイプでしょうか。このタイプは、わりと熟達の道筋が見えやすい。「次はこうするといいかな」と思って働きかけると、なにしろ受け取り上手なので、読むことと書くことを結びつけて、順当に力をつけていきます。

このタイプの子が、時々壁にぶつかることもあります。色々と考えすぎてしまって、書けなくなっちゃうのですね。でもまあ、これは良い壁というもの。「うまく書きたい」意識が芽生えたからこその苦しみで、これはジャンプをする前にしゃがんでいる状態とも言えます。仮に作品づくりが行き詰まっても、プロセスにお宝が眠っているので、それを価値づけてやればよい。

量がどんどん増える子

例えば、6年生のある子は、この一年間ずっと1つのシリーズを書き続けていました。正直なところ、文法ミスも多く、字も読みにくいので、「文法的に正しい文章を書ける子が、書く力のある子だ」という「書く力」観に基けば、決して国語が得意とは言えないのかもしれません。でも、自分が面白いと思った感覚に正直で、それを作品で表すことを楽しめる子です。この子はとにかくたくさん書きます。文法ミスだらけの文章を書いて書いて書き続けて、ようやく以前より少しはミスも減ってきたところ。たくさん書く体力は身につけました。こういう子は、毎年出てきます。

いきなり質がレベルアップする子

このようにまず量が増える子もいれば、ある段階でいきなり文章の質がレベルアップする子もいます。書いている内容が急に本格的になり、文体まで変わってしまう。こちらもびっくりする位、急にぐっと変化する書き手が、実は毎年のようにいます。これはほんと不思議なんですが、これまでの共通点を見ると、書くのはあまり好きではなくても、実はもともと読書家ではあった、という例が多い気がします。読んでいるうちにたまった語彙や世界が、5・6年生になって華開いたのかもしれません。また、この年齢の子が急に精神的に大人びることと関係があるのかもしれません。

もちろん、特に大きくは変わらない子も

思いつくままに「いい例」ばかり出してしまったのであわてて補足すると、もちろん大きくは変わらない子も少なからずいます。また、「今回すごい変わったなー、これは今後が楽しみ」と思っていたら、次回は「あらら?」なんてことも…。これはまあ、その子の気分の問題とか、「作家の時間」にあまり興味を持てないとか、そういう要因も多いのでしょう。そもそも、どんな子も順当に「伸びる」ことを前提にしてしまうと、子どもだけでなくこちらも苦しくなってしまう。僕のような「真面目」な実践者が気をつけないといけないところです。

とはいえ、そういう子の書いた文章でも、テーマやジャンルの違いとか、前との物語の違いとかに違いを見つけて、その子の個性を楽しむことはできる。それが、作家の時間という実践のいいところなのでしょう。

書き手の予想不可能なプロセスに敬意を持つ

僕が受け持っているのは5・6年の2年間。それでも、「いやあ、予測できないな」と思うのだから、彼らをちかさんが受け持っていた1・2年の頃との変化の大きさたるや。ちかさんも「あの子がこうなるのか」という感慨を持っておられて、それを聞いた僕も面白かったです。

書くことの成長について、忘れてはいけないシンプルな事実は、書き手の成長のプロセスは予想不能だということ。頭の中ではつい期待通りの成長曲線を描きがちですが、コントロールできないものだということを前提に、書き手の成長のどんなプロセスにも敬意をもつこと。それが大事と、自分にも何度も言わないといけませんね。

 

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