[読書]ポストAI時代の現時点での羅針盤となる一冊。岡野原大輔『ヒトとAI』

岡野原大輔『ヒトとAI』は、仕事やプライベートで実際にAIを日々使っている僕たち人間社会にとって必読の「AIとの付き合い方」の本。特に、AIを起点にヒトの知性について逆照射している第2部が興味深く、そこからポストAI時代の人間の役割について、見通しを示してくれる。

著:岡野原 大輔
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ヒトの特徴は「死ぬこと」である

本書では、まず「ヒト以外の知能」として登場したAIと人間の違いを考えるために、学習の定義をするところからはじめる。その上で、AIの知能の特徴(第1部)とヒトの知能の特徴(第2部)に詳しく触れた上で、ヒトとAIが作る社会とはどのようなものかが論じられる(第3部)という構成だ。

したがって今後の社会の具体は第3部に書かれているのだが、そこにいたる第1部、第2部がとても面白い。とりわけ、第2部で、人間の本質を死ぬこと(不可逆な有限性)があることと論じて、そこから行為の選択と責任が生まれていることを指摘していた点にはしびれた。たしかに、AIは死なない。死なないから、複数のなかから一つの選択肢を不可逆なものとして(=後戻りできない選択として)選び取ることはできない。こうした点から、ポストAI時代のAIと人間の役割が規定されていく。ここは本書の白眉となる箇所ではないかと思うので、詳しい議論はぜひ読んでほしい。

「判断・責任」時代の教育と試験

本書の第3部では、複数のAIエージェントがRTS(リアルタイムストラテジー)のように同時並行でさまざまなタスクを実行するポストAI時代において、人間の仕事はそれらの仕事を実行するのではなく、統括・判断・監査フェーズに移ることが 論じられている。一つ一つの章は短いながらも、簡潔な書き振りで、研究・教育・経済・外国語を学ぶ意義まで論じられていて、いろんな角度からAIを組み込んだ社会設計について考えることができる。

なかでもこのブログの観点でとりあげたいのは、教育や試験のありかただ。筆者が立脚しているのは、知識の運用が外部化されるAIとの共生社会においてこそ、かえって人間側の知識の解像度が問われていくというパラドックスである。AIが知識を担ってくれるので知識の必要がなくなるのではなく、AIの提示する知識の妥当性を判断するにも、知識が必要だというわけだ。

教育において知識は、もはや「答えを出すための道具」ではない。それは、AIという強力な他者との思考を使いこなすための適切な問いを作り、その結果を監査し、手綱を握り続けるための「足場」として再定義される。(p157)

この議論は、google検索が広まった時に「検索結果の妥当性を判断するにもやはり知識が必要」と言われていたのと相似形である。結局は、人間が知識を活用するためには、知識を一度自分の体にくぐらせ、身体化させるプロセスが必要なのだろうか。筆者はそうした社会を見通して、試験のあり方がどうなるかもコラムで予測しているのだが、この「二極化」予想もまた興味深い。

AI時代の人間の在り方の方向性を示す一冊

筆者自身も言うように、AIの進歩は非常に早く、細かな点はどんどん現時点の議論が通用しなくなっていくだろう。それだけ、この本で筆者が何を書き、何を書かなかったかについて、慎重な判断をしたことが各所にうかがえる。本書で示されているのは、人間の知性とAIの知性の違いに基づいた全体の方向性だ。そこは、そんなにすぐには古びないに違いない。とはいえ、そういう予想すらも超えて進化が早いのでそこはなんとも言えない怖さもあるのだけど、ベストセラーになっているのも納得の、現時点でのAI時代の羅針盤となる一冊だった。

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