[読書]「らしさ」を全部あきらめない。学びのプロセスを開いた著者らしい誠実な本。佐々木陽平『わたしらしくつくる算数・数学の時間』

佐々木陽平さんの『わたしらしくつくる算数・数学の時間』を読んだ。陽平さんは僕の前任校・軽井沢風越学園の算数・数学のスタッフなので、元同僚でもある。だから、これから書く記事は客観的なレビューでは全くなくて、個人的なエピソードふくめて、元同僚としての感情がだいぶ込もったものになってしまった。その点はご承知おきください。その上であえて強調するのだけど、想像以上に、とてもいい本でした。

 

「らしさ」を全部あきらめない主張が、本の作りにも表れている

なぜいい本かというと、この本の中で主張していること——教師の「わたしらしさ」と、子どもの「わたしらしさ」と、そして教科としての算数・数学の「らしさ」、そのすべてをあきらめずに追求しようというこの本の主張が、本の作りそのものにきちんと反映されているからだ。陽平さんらしい、とても誠実な作りの本だなと思った。

そのことは、目次を見るだけでもわかる。本書では、算数の授業にまつわる問いが、レイヤーの異なる問いとして設定されている。そもそも教材研究って何だろう、どんなふうにするんだろう。一人ひとりの子どもが数学的に考えるために、教師は何を教えたらいいんだろう。多様な子どもたちがいる教室で、それでも数学的に考えることを手放さないために、教師には何ができるんだろう。教師が自分らしさだけを追求できない現実の環境で、同僚や子どもたちと一緒に授業をつくるとき、どうしたらいいんだろう…。

この本は、それらの問いに対して「こうすればいい」という正解を示すよりは、著者の陽平さん自身がどう向き合ってきたかを記す実践の記録だ。それぞれの「らしさ」をどう両立させていくか、その試行錯誤のプロセスが各所に残っている。だから、算数・数学の本として読むこともできるし、それ以外の教科にこだわりがある人は、算数・数学のところをその教科の名前に、例えば僕だったら国語に置き換えて読むこともできる。

興味があった、陽平さんの教材研究

それらの話題の中で、個人的にまず興味深かったのが、陽平さんの考える教材研究の話だった。

というのも、本書の冒頭に近い19ページに出てくるエピソード——陽平さんの同僚のふっしぁん(藤山茉優さん)が、陽平さんに「ふっしぁんは教材研究が圧倒的に足りない」と言われた話を、僕はかつてふっしぁん自身から聞いていたのだ。僕と彼女は、2024年から25年度にかけて、同じ5・6年のラーニンググループのスタッフとして2年間一緒に働き、僕は主に国語を、彼女は主に算数を担当していた。それで、2024年の夏、僕が彼女の算数の授業を見学したあとのおしゃべりで、そのエピソードを聞いたのだ。なんでも「教材研究が足りない」のあとに「ふっしぁんの言葉の端々からそれがわかる」とも言われたらしい。こう書いてみると、すごい言い方だ(笑)

しかし、その時のふっしぁんは、子どもの反応まで予想した詳細な教材研究ノートを作っていて、授業後には子どものノートを見て次のインストラクションを考えるような、それは熱心な教材研究をやっていた。そのノートに感嘆した僕は、彼女の算数・数学の師匠格である陽平さんが、いったいどんな教材研究をしているんだろうと興味を持っていたのだ。だから、陽平さんの教材研究の基本的な考え方を読めたのが、まずは嬉しかった。

彼が実際にどう教材研究をしているのか。それはこの本の特徴の一つでもあるので、ここでは詳述しないほうがいいだろう。けれど、本書では「小さな数学者」をキーワードにして、陽平さんが算数・数学の授業をつくる前にどんなことを考え、どんなふうに手を動かしているのかが描かれている。まずはこの部分こそが、本書の大きな魅力だと思う。

苦しみながらも自分を開いていく姿

けれど、それ以上に僕の個人的な感情の動きを生んだのは、著者の陽平さんが、軽井沢風越学園というそれまでとは異なる環境に来て、苦しみ、揺れながらも、それでも数学も、自分自身も、そして風越で大切にする「子どもとつくる」ということも、すべてを手放さなかったことのほうだった。その試行錯誤のプロセスは、「問いでまとめる」本書の構成上やや見えにくくなっているが、後半を中心に各所に見られる。

たとえば本書の後半、117ページには、「混ざる」ことを大切にする風越学園において、自分の考える数学へのこだわりが満たされない彼の苦しみが書かれている。おそらく2022年度から2023年度のことだ。僕はその当時、苦しむ陽平さんの姿を、強い共感を持って眺めていた。

風越学園は教科が中心にある学校ではない。したがって、それぞれの教科の専門性を大事にキャリアを築いてきた教員(僕もその一人である)にとって、自分が大切にしたいことと、学校が大切にしたいことが必ずしも一致するわけではない。僕も陽平さんも、初任は私立の中高一貫校、その後は国立大附属の教育研究校と、それこそ教科専門性を軸にした環境で実践を積んできた。でも、そこで大事にされていたことと、風越で大事にされていることは、大きく違う。陽平さんの苦しさは、僕も同じように味わっていた。

しかし、ライティング・ワークショップという自分のやりたい実践ができ、しかも2年目からはりんちゃん(甲斐利恵子さん)という同じ教科の大先輩がいた僕と違って、陽平さんの場合は、ひとまず自由進度学習をやることが決まっており、算数・数学に深い愛情を持つ人もにいなかった。その結果、彼のやりたいことは、周りの同僚の多くにも、ひいては子どもにも届きにくい。そういう孤独な環境は、算数・数学を愛する彼にとって苦しくないわけがない。「自分の居場所がこの学校にはないのではないか」という言葉が147ページにも書いてあるけれど、その表現が決しておおげさでなかったことを、僕も、おそらくは当時の同僚たちも知っている。

けれど、そういう苦しみの中から、陽平さんは、自分を開き、子どもたちに自分の授業について積極的に聞き、時に子どもから厳しいフィードバックも受け、傷つきもしながら、それでも開き続けてきた。その姿に時に危うさも感じながら、同時に深い感銘を受けていた。本書の構成順とは異なるが、まずは第4章に書かれた同僚や子どもに開くプロセスがあり、そこから第2章の単元構想や、のちには第3章の多様な子どもへの対応などの具体的な授業の手立てが磨かれていき、その日々の中、第1章で書かれている教育理念や教材研究観が磨かれていったのだと想像する。

ふっしぁんという同僚の存在

こうした陽平さんの変容を支えるうえで大きかったのは、やはり同僚、特にこの本で何度も出てくるふっしぁん(藤山さん)の存在だろう。本書では藤山さんが最初から登場し、彼女自身の文章も随所に出てくる。奥付にも編集協力として名前が出てくる特別な存在だ。

前にも書いたように、僕は彼女と2年間、同じ学年のスタッフとして働いた。本書では「ズケズケ言う」と書いているけれど、自分の言葉の受け取られ方に丁寧に気を配りながらも、大事なことをきちんとまっすぐ相手に伝える人で、僕自身も何度も助けられてきた頼れる同僚だった。本書でも、陽平さんと対話しつつ疑問をまっすぐにぶつけたり、陽平さんが言ったことでも鵜呑みにしないで、考えた末にやるのをやめてみたりと、対話を重ねながら、彼女が算数・数学の授業者として子どもたちと向き合い、成長していく姿が垣間見える。

同僚との協働は、もちろん、綺麗なエピソードばかりを生まない。本には書けない生々しい苦労や言葉にできない葛藤もたくさんあっただろう。それでも彼女がいたからこそ、陽平さんは、自分を大切にすること、教科を大切にすること、子どもを大切にすること、学校の理念を大切にすることの葛藤の中で、その全部をあきらめずに、「わたしらしく」算数・数学の時間をつくっていくことができたんだと思う。 彼女がいなかったら、この本自体が、少なくともこのかたちでできることはなかっただろう。

 

「この人にはかなわないな」と思ったこと

そんな陽平さんと一緒に働く中で(といっても、ラーニング・グループが違うので同じ最前線には立てなかったのだけど)、僕が明確に「この人にはかなわないな」「すごいな」と思ったことが3回あった。最後に、個人的なエピソード記述にはなるけれど、本書とからめてそれを書こう。

一つは、第4章の核となるp117のエピソード。それまでかたくなに(といっても、そっちこそが「普通」なのだが)学年別の数学を堅持していた彼が、25年度からの「3学年でまざる数学」方向に舵をきったこと。国語ならともかく、学年ごとの積み上げが大事なのは素人にもわかりそうな数学において、その分野の専門家がそれを手放すことが、僕にはちょっと信じられなかった。「よく決断できたな」と、正直びっくりした。

二つ目は、子どもたちとの振り返りの場を持って、p159で書かれている「参画のはしご」のレベル6の段階の意思決定に子どもを関与させたこと。実は僕は、この「参画のはしご」を知りつつ、テーマプロジェクトでしかレベル6の段階の意思決定に子どもを関与させたことがない。テーマプロジェクトではできても、自分の専門と自負する国語の授業ではむしろ意識的に「意見を聞く」にとどめて、「意思決定は専門家である自分の責任」だとしてきた。本書の表現で言えば、僕は「教師が専門性という安全な「高いところ」にいる状態」(p160)を保っていたのだ。自分の専門領域において、僕はその高いところにいる状態を保ち、陽平さんはそこから降りた。その違いは決定的に大きい。

そして、「かなわないな」と思ったことの三つ目は、これは本書に書かれていないけど、彼が今年(2026年度)、小学1・2年生の担当になったこと。実は、その前の年くらいから彼が小学校担当になる予感はあって、当時は僕も「来年は陽平さんと一緒に5・6年で組めるかな」とすら思っていた。その僕の予想を超えて、彼は1・2年の担当になってしまった。元中高教員にとって、これは本当に大きなジャンプだと思う。

要するに、僕には「壁」だと感じられる3つの境界線を、彼は、いずれも勇気を持って超えていったのである。自分のほうが先に着任して、一時は心配していたけど、気づいたらいつのまにか追い越されていた。参りました、としか言いようがない。

この本は、そういう一人の実践者の、数年かけての越境の記録である。 しんどいことも多い中で、彼自身の授業観が磨かれ、教科のこだわりを持ちつつ変容していった彼の姿が、多くの生の声とともに記されている。読み手の人にも、どうかそのプロセスに想いを馳せながら読んでほしい。

 

「わたし」は子どものことでも、教師のことでもある

『わたしらしくつくる算数・数学の時間』の「わたし」とは、子どものことでもあるし、教師のことでもある。その重なりこそが、著者の目指しているものだ。だから、算数・数学に限らず、自分の「わたしらしさ」と子どもたちの「わたしらしさ」のどちらもあきらめずに授業づくりをしたい。そう願う授業者にとって、この本は、読みながら自分のことを考える、いわばリフレクションの鏡のような存在になるはずだ。

もっとも、冒頭に書いたとおり、このエントリはひとりの元同僚による、とても偏った読み方だ。当時の陽平さんを少し離れたところから眺めていた僕の記憶が、この本の読み方をかなり方向づけているのは間違いないし、同じ同僚でも、人が違うと見方も違うはずで、僕の読み方は、あくまで僕の読み方。それでも、いや、だからこそなのかもしれないけれど、いい本を読ませてもらった、と心から思う。そして、いい本ですよ、と他の人にも心から勧められる本であることが、とても嬉しい。そういう本の著者・編集協力者の2人と数年のあいだ一緒に働けたことを、僕は誇らしくも思っている。

9/26にはイベントがあります!軽井沢へどうぞ!

9/26(土)には、この本の出版を記念して軽井沢風越学園でイベントがあるようです。本書にまつわるトークショーとワークショップの2本だて。この際なので、本書とともに、ご興味がおありのかたはぜひ!

 

【9/26開催】『わたしらしくつくる算数・数学の時間』出版記念トーク&ワークショップ 参加者募集中

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