直木賞候補作であり、今年度の高校生直木賞を受賞した須賀しのぶ「また、桜の国で」を読んだ。さすがの評価の高さ。第二次世界大戦期のポーランドを舞台にした、ずっしりと手応えのある作品で、約500ページという厚さの本を楽しんで読み切ることができた。
目次
第二次大戦期のポーランドを舞台にした歴史小説
物語は1938年、ミュンヘン会談でナチス・ドイツのズデーテン地方割譲が認められたところからはじまる。小説の舞台はこれから第二次世界大戦末期までがメイン。ということは、ポーランドの暗黒の時代だ。ナチス・ドイツによるポーランド占領、激化するユダヤ人の排斥、ゲットーの建設、オフィシエンチェム(アウシュヴィッツ)などの強制収容所建設、ワルシャワ・ゲットー蜂起、そしてワルシャワ蜂起…。これでもかと悲劇の一途を辿っていく暗い時代を背景に、ポーランドの日本大使館の外務書記生・棚倉慎の活躍が描かれる。
複雑な立場の主人公たち
主人公の棚倉慎は、国籍は日本人ではあるが、ロシア人の父を持ち、容貌はロシア人。日本では「異物」扱いされるのにポーランドでは日本人として扱われる彼が、悪化する状況の中で日本とポーランドとの友好をつなぎとめ、最後にはワルシャワ蜂起に加わっていく。ドイツやイギリス、フランス、ロシアといった大国の思惑に翻弄され、また、ピントはずれの動きをする日本の外交下手に不満をつのらせながらも、必死にポーランドとの友誼を守ろうとする慎の奮闘や、現地の人びととの交流、そして悲惨な戦闘が描かれる話だ。
物語には、慎に関わる重要人物として、ユダヤ人カメラマンであり祖国ポーランドでも差別される側にまわったヤン・フリードマン、そしてことさらに「愛国者」としてふるまうアメリカ人レイモンド・パーカーが登場する。それぞれが、祖国に対して複雑な心情を持つ人物たちで、彼らがポーランドのために力を尽くすにいたる事情や、そこにある陰影が胸をうつ。複雑なバックグラウンドの人びとが、敵味方をはっきりとわけたがる戦争に直面した状況を描く点で、同じ第二次大戦期を舞台に日系アメリカ人ショーティを主人公にした古処誠二「七月七日」を少し思い出した。
史実の重みを感じる一冊
この物語の魅力はなんといっても、史料に裏打ちされた描写の迫力だと思う。一度、ナチスドイツを信じてしまう列強諸国、整然としたドイツ占領軍を見て安堵すらおぼえてしまうワルシャワ市民たち。その後、虐げられる側にまわったポーランド国内でもはじまる新たな差別、英仏といった大国にすがりつき、何度も裏切られる小国ポーランドの悲哀、ワルシャワ・ゲットーの中の悲惨な生活、そして「人間らしく死ぬための」蜂起…。世界史の教科書や資料集では、ワルシャワ・ゲットー蜂起、ワルシャワ蜂起とたった数行ですまされるような出来事が、これ以上ない悲惨さをもって、徐々に描かれていく。
僕たちはポーランドの行く末を知っている立場でこの物語を読むだけに、登場人物たちの苦闘が余計に胸を打つ。あまり詳細なことは書かないが、史実から容易に予想できる通り、彼らの多くは死んでいく。僕たち読者はなかば自明なその結末から逆算して、彼らがどのように生を全うし、死んでいくのかを読んでいくことになる。
もちろんフィクションではある。しかし、極東青年会会長のイエジをはじめ、主要登場人物には実在の人物もいるし、歴史を題材にした小説が持つ「事実の重み」を感じる小説だ。多くの登場人物の生き方と死に方が、ずしりと手元に残る一冊だった。
おすすめの関連図書
関連図書として読んでみたいのは岩波ジュニア新書の2冊だ。「革命のエチュード」をはじめ、苦難のポーランド人の心を支えてきた曲の作曲家・ショパンの伝記「ショパン」。そして、ワルシャワの博物館にある日本人形を手掛かりに、第二次大戦期のポーランドの戦争の記憶をたどる「ワルシャワの日本人形」。作中の超重要人物イエジの活躍や、コルチャック先生についても書いてある必読の書だ。
このブログにすでに感想を書いたものとしては、普通の市政のドイツ人がいかにしてユダヤ人の虐殺に関われるようになったのかを描いた「普通の人びと」も印象深い作品だった。「また、桜の国で」とは違う角度からの戦争が描かれている。
関連エントリ
「また、桜の国で」を読むと、これらの本とともにワルシャワを訪れてみたくなる。読んでよかった本。個人的には、すでに「二冠」(直木賞・本屋大賞)を受賞した「蜜蜂と遠雷」を押さえてこの本が「高校生直木賞」に選ばれたことはとてもうれしい。読んでよかった、選ばれてよかった本だった。