苫野一徳さんの新刊「はじめての哲学的思考」を読んだ。苫野さんがご自身の哲学的思考の「技術」を惜しみなく紹介した本だけに、哲学的に考えるためのコツがふんだんに盛り込まれている。それを読んでるだけでもふむふむと参考になるし、論理的思考と哲学的思考の違いってなんだろう?という点にも興味がいく本だった。
「哲学的に考える」コツがたくさん
この本の良いところの第一は、「哲学的に考える」ための実践的なコツがたくさんあるところだ。たとえば、次のような思考法について、中学生でもわかるように丁寧に説明してある。
- 「一般化のワナ」に注意する
- 「問い方のマジック」に気をつける(二項対立に陥らない)
- 事実(〜である)から当為(規範、〜すべし)を導かない
この3つは、僕にとって「知識としては知っているけど、つい犯してしまう失敗の素」である。わかってはいるのにこの3つを回避するのはなかなか難しいのだ。僕の勤務校の優秀な生徒たちも、「〜である」と「〜すべし」が直結しない点については、教えられないと気づかない子も少なくない。教えている僕自身だって、この2つを自分に都合よく混同してしまうことがあるので、人のことは言えないのだ。
「哲学的思考」と「論理的思考」との違いって?
ただ、上に挙げた3つは、「論理的思考が大切」という文脈でもよく言われることである。だから、僕はこの本を読みながら「この本の哲学的思考って、論理的思考と何が違うんだろう」ということが気になっていた。
そして、そんな疑問を抱きつつパラパラと本をめくっていたら、なんのことはない、その答えはこの本の一番最初に書いてあったのである。
哲学とは何かという問いにひと言で答えるなら、それはさまざまな物事の”本質”をとらえる営みだということができる
おそらく、この「本質をとらえようとする」という思考の構えが、ただの論理的思考と哲学的思考を分かつ部分なのだろう。この本の後半で示される「命令ではなく条件解明を」という姿勢はまさに物事の本質に迫るためのものだし、ロールズの「無知のヴェール」のような思考実験を戒めるのも、哲学が論理を駆使したただの結論先取りや説得ゲームにならないために、必要なことなのだと思う。おそらく同じ理由で、日本でも数年前に流行したサンデルの「ハーバード白熱教室」に対して批判的なのも印象的だ。
「哲学対話」の3類型
こうした著者の姿勢が鮮明にあらわれているのが、最後に哲学対話の3類型を示しているところ。苫野さんによれば、哲学対話には次の3種類がある。
- 価値観・感受性の交換対話(お互いの価値観を交換しあう哲学対話)
- 共通了解型志向対話(共通了解を見出すための哲学対話)
- 本質看取(意味や概念の本質について共通了解を見出すための哲学対話)
苫野さんによれば、最後の「本質看取」こそが、もっとも哲学対話らしい哲学対話だということになる。ここでは、本質看取の手順や、「本質定義」「類似概念との違い」「本質特徴」「発生的本質」といったコツが示され、具体例として恋をテーマにした本質看取の哲学対話まで丁寧に紹介されている。
これは僕にはなかなか興味深かった。というのも、哲学対話って、僕の中ではもっとゆるい(ファシリテーターの技術への依存度が高い)印象があったので、ある意味で「かっちりした」構成的な部分が面白かったのだ。もちろんあくまで一つのやり方にすぎないけど、こういうのもありなんだとわかった。
というわけで、ちくまプリマー新書らしく、読みやすくて面白い本。これは生徒にも紹介しよう。