楽しんで書くことを身近にしたい

子どもたちを連れて某大学の学園祭に行ってきた。ある卒業生が、自分が出演する音楽の演奏会に誘ってくれたからなのだけど、会場で他にも何人かの卒業生に会って、彼らの模擬店の食品を買ったり、ダンスを見たりしていると、あっという間に時間が過ぎていった。みんな、立派な青年だなあ。同じ時間が流れているはずなのに、自分はどうだろう。おもわずこの数年を振り返ってしまう。

望外の喜びだったのは、なんらかの形で文章を書いている卒業生に複数名出会えたこと。大学新聞の記者として、キャンパスマガジンのライターとして、同好会のサークル誌の書き手として、そして、(今回は子ども連れで結局公演を見られなかったけど)演劇の脚本家として。他にも、今日は会えなかったけど、短歌の結社に入っている卒業生も知っている。

彼らのように、必要性に迫られているわけでもないのに、自分で進んで文章を書き、表現している卒業生の存在は、やっぱりとても励まされる。彼らの中学生時代の文章をたくさん読んでいるので、なおさらだ。

僕は中高生時代の一時期、寝る前のベッドで大学ノートに30分くらい書きものをしてから寝る習慣があった。内容は誰にも見せられないものばかりだし、実際に見せたこともないけれど、誰にも強制されずに楽しんで書いていたのは間違いない。そしてそれが、自分の書く力なり、抵抗感のなさなりを作っていったと思う。「自分が書きたいことを書く」という点ではライティング・ワークショップにも近いので、今思うとあれは自分の教員としての原点のひとつなんだろうな。

ところが大人になってからの僕は、申請書・報告書・実践論文などの文章ばかりで、仕事に無関係な文章を書く機会がめっきり減ってしまった。本当はもっと雑多に、日々書くことを身近にしたい。仕事にだってプラスなはずだ。だって、勉強しない教員が勉強しろと言っても説得力がないのと同様に、自分が文章を書いていない教員が、書くことを教えられるわけないでしょう?

実はこのブログも、「書くことを自分の毎日の生活にもっととりこんでみよう」と思って続けている。 質よりも、とにかくできるだけ毎日書くことを第一目標に。他の人と一緒に創作もしたい。詩歌。ショートストーリー。下手の横好きでいいから、表現すること、書くことをもっと日々の生活の中で気軽に楽しめる人になりたいと思う。

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