新年度も始まってから3週間。忙しいながら、なんとか乗り切っています。大学に移っていいなと思ったのは、裁量労働制で時間のコントロールが効くことと、研究日があること。その研究日には週1回、大学院生(博士課程後期)として広島大学に通っているので、今日はその話を書こうかな。
ギリギリのタイミングで気づいた…!
もともと、また大学院に通いたいなとは思っていました。エクセター大学で修士号を取った時も、このまま博士課程に残りたい気持ちもあって、お金とか能力とかさまざまな制約でそれはできなかったし、その後は風越学園で実践にどっぷりと浸かってもちろん充実していたけど、博士論文を書きたい気持ちは、薄まりつつ、いつもずっとどこかにはあったと思います。
それが今回、広島県の大学に就職することになり、「広島県といえば、広島大学があるのでは?」「広島大学といえば、中井先生(詩創作指導がご専門の中井悠加先生)が広島大学に移籍したばかりでは?」「もしかして通える?」と気づいたのが昨年度の12月中旬。願書の締切が1月上旬だったのであわてて問い合わせて、下旬には面談と過去問の入手に広島大学に行って、書類を整え、出願。2月の入試を経て無事に入学となりました。ギリギリのタイミングで気づいた自分、偉かった….!
エキセター大学に留学したのがもうちょうど10年前。10年ぶりの学生生活ですよ。具体的には、週1回、中井ゼミの修士博士の皆さんとの合同ゼミにオンラインで出て、あとは週1回金曜日、広島大学で中井先生から個人指導を受けてます。特にこの個人指導、始まったばかりなのに大変お世話になっていて、研究のことだけでなく、書類書きの相談に乗っていただいたりも…。
研究テーマは、前にも書いたけど「書き手としての教師(teachers as writers)」。もともと自分も教えつつ書くことを続けてきたのと、英語圏ではけっこう研究の蓄積があるのに、日本語圏ではほとんど(僕の知るかぎり全く)論文を見ないブルーオーシャンなテーマ。オーシャン?….いや、ため池くらいの広さかも..? でもまあ、色々な可能性の中から、自分なりの問いを立てて探究するのは楽しそうです。ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップなど、自分の背骨となる実践をそのまま研究対象にすると、少なくとも自分の力量では、どうしても自己を正当化する、いわば結論ありきのつまらない研究になりそうなので、結論の見えないテーマを選択できたことには満足しています。博士課程(長期履修)の6年をかけて、できればその先も、自分の研究テーマとして続けていきたい。
5月末、自由研究発表をします
その博士課程の研究の第一弾として、5月末の全国大学国語教育学会(新大阪吹田大会)で自由研究発表をします。題目は「英語圏における Teachers as Writers 研究に関する文献レビュー」。タイトル通りの「自分の研究の第一歩につきあってくれませんか?」な発表ですが、ここに至るプロセスや当日のやりとりで、今後の研究の方向性がくっきりと豊かになればいいなと願ってます。2次案内(link)には他のプログラムも掲載されているので、よかったらお越しください。
考えてみたらこの学会、これまで現場実践者として公開講座・シンポジウム・課題研究に登壇経験があるのだけど、何気に自由研究発表は初めて。よくわからないまま「4月になったらきっと忙しくて研究すすめる気がなくなるかもだから、先に申し込んじゃえ」的な軽いノリで3月に申し込んでしまって、正直準備不足すぎて無謀な側面はあったかなー。中井先生のご指導のおかげでなんとか要旨集は出せたので、発表に向けて、ゴールデンウィーク頑張ります。
信念と自分の文体の乖離
ところで要旨集を書く中で、「この感覚忘れたくないな」と思ったことがありました。それは学術的な文体のこと。要旨集は論文ではないとはいえ、学術コミュニティで共有されるものなので、その作法をある程度守らないといけません。その基本の一つに、「自分主語で書かない」がありますね。たとえば研究の動機も自分の個人的動機ではなく、社会の要請として書く、そんな書き方。
実は今回、内心ではこの慣習に従うことに違和感もありました。それは自分が、書かれたものの効用や読みやすさよりも、書き手の声や書き手の思いを重視する表現主義の立場で実践を続けてきたからなんだと思います。僕からすると、研究の動機として個人の経験や思いを中心に書くのは自然だしむしろそうあるべきなのだけど、それを押し殺して客観性を装った(と書くと言いすぎかな)文体で書かねばならないことに、自分の信念と文体が乖離する違和感があったのは事実。また、特定の書き方が「中立」とみなされることで生じる権力性にも敏感でありたいな、と思いもあるなー。
10年前の授業を思い出した
そして思い出したのが、10年前にエクセター大学大学院で受けた、論文を精読してその背後にある思想を分析する授業(下記エントリ)。これは、単語のチョイス一つにも、たとえ明示されていなくても書き手の思想があり、その思想はただの書き方の好みというよりは世界認識につながることを、論文の精読を通して体感する授業だった。いま思い出してもいい授業だったな。そしてやはり自分には、自分に嘘のない単語や文体を選択したい思いがあるのですね。
….とはいえ、文章には「特定のコミュニティの中で事実や意見を共有する」機能的な側面があるのもめっちゃわかるし、そのために特定の書き方が共有されるメリットもわかる。特定のライティング・コミュニティに参画するつもりなら、そこの慣習を守らないといけない理屈もわかる。だから、今回の要旨集の作文では、この慣習を素直に受け止めて書きました。でも、このことへの問題意識はずっと持っていたいし、いつか自分の信念と乖離していない文体で書いてみたいな。きっと同じ思いを抱えている人はたくさんいるし、書けるはずなので。
昨日(金曜日)の個人指導では、はこのへんの思いに関連してアートベースリサーチのことを教えていただいたり、その日の課題の英語論文にも共通した問題意識があったりして、いろんなことがつながってとても面白かった。個人指導の時間はそんな楽しい時間。そのあとは広島大学の学生食堂でお昼ご飯を食べて、午後は夕方まで図書館ですごして(さすがに国語教育系の本もたくさんある…!)、夜に自宅に戻ってくるのがこの日の流れ。この日はちょっと学生してるって感じでしょ。
そんな感じで、新しい刺激をもらってます。苦しく楽しく、学んでいきたいですね。最大6年計画だから、その期間は学割もたくさん使っちゃうよー。頑張ります!





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