シンポジウム「国語科のカリキュラムを考える」にパネリストとして参加しました

5月28-29日に行われた(紙面発表は6月12日まで)全国大学国語教育学会東京大会(オンライン)で、シンポジウム「国語科のカリキュラムを考える ―コンテンツ・ベースとコンピテンシー・ベースの対立を超えて―」に登壇しました。コーディネーターは東京学芸大学の渡辺貴裕さん、パネリストは関西学院大学の遠藤みゆきさん、東京学芸大学の中村純子さん、そして僕でした。今日のエントリはその個人的な感想で、シンポジウムをご覧になっていない方には、わけがわからないものになっています、きっと。

画像は、この春にのぼった湯の丸山。南峰から北峰にむけて歩く稜線が、右に浅間山、左に北アルプスの山々を遠望して、とても気持ちがいい。短いながらも最高の稜線歩きでした!

「概念型カリキュラム」への違和感

パネリストの遠藤みゆきさんは、かつて高校国語科教諭として勤務され、国際バカロレア(IB)の研究をされています。エリクソンの、いわゆる黄色本『思考する教室をつくる:概念型カリキュラムの理論と実践』を翻訳された方でもあります。

中村純子さんは、もともと公立中学校教員で、僕はその頃から勉強会でよくご一緒していました。メディア・リテラシーがご専門ですが、最近は国際バカロレア(IB)の研究もされていて、中高国語科の国際バカロレアの授業づくりの本も出されています。

このIB推しのお二人に対して、カリキュラム論の素人である僕がこの場にお呼ばれしたのは、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップという国語では周縁的な実践をやっている僕の見方から、現行の国語の主流のカリキュラムについてなにかしら光をあてられるだろう….ということだったのかもしれません。ただ、実際のシンポジウムでは、僕は「概念」推しのお二人に対して、一人の実践者としてそれに違和感を表明する役回りでした。僕の疑問は、ざっくりいえば次の2点です。

  • なぜ汎用的な転移可能なアイディアをヒエラルキーの最上位に置くのか?
  • 目の前の国語的学習内容を、それより上位の何かを学ぶための手段と位置づけてしまったら、学習内容自体はひどく退屈なものになってしまわないか?

こういう対立構図がはっきりすることで多少の盛り上がりには貢献したかなと思いつつ、その先に全然行けなかったことには悔いが残っています。おそらく、コーディネーターの渡辺さんは「コンテンツ・ベース=国語科固有」「コンピテンシー・ベース=汎用的」のような二項対立を超えることを企図されて「本来のコンピテンシーは汎用的能力というものではない」と趣旨説明でおっしゃっていたのに、結局、その図式に終始してしまった感じ? 別にこのシンポジウムは、IBについて解説する場でもライティング・ワークショップの実践を紹介する場でもなかったはずなのに、それをふまえたカリキュラムについての話が充分にできたかというと、ごめんなさい、という感じでした。

自分の立場は状況的学習論?

実は2017年の133回福山大会でも「コンピテンシーと国語科教育」という類似テーマでシンポジウムが開かれています。僕は直接その場に居合わせてはいないものの、当然、事前にそちらの資料に目を通していました。そしたら、当時のコーディネーターである藤原先生が、そこですでに

  • コンピテンシー形成というゴールにむけて、言語文化的内容とその学びを手段的に位置付けるという枠組み
  • 国語科教育で対象とする言語文化的内容を学ぶこととはどのような営みなのか、国語科学習の文化的固有性を重視する方向性

という対立軸を示していたのですよね。そこでは、特に後者についての次の説明が印象に残りました。

状況的学習論の核心は、学習を、個人の内面に閉じたものではなく、特定の状況の中で、他者と相互行為しつつ、特定の文化的内容に即して遂行される文化的実践への参加と見なす学習観である。

この学習観に基づく場合、国語科授業における言語文化の学びは、現実社会における言語文化的実践を教室において再構成しつつ、子どもたちがそうした実践に仮想的に参加していくような活動を通して実現されることになろう。つまり、実際に言語文化が立ち現れる実の場を再現しつつ、それに即した真正な学びを通して、言語文化そのものに馴染んでいくような学びである。(コーディネーターの言葉 p4)

今回、シンポジウム用の資料をまとめる際に自分がやりたいことを言語化したら、結局自分がやりたいのは、ここで書かれているようなことなのかも、と気づきました(笑) これが、今回のシンポジウムの個人的には一番大きな収穫。それで、この立場から2017年時点での議論に何を付け加えられるかなということを気にしていたのですが….そこは難しかったなあ。繰り返しになるけれど。

ちなみに、名前だけは知っていたレイヴ&ヴェンガーの「正統的周辺参加」論の著作は、読まねばと思って読みはしたのですが、きちんと消化できなくて、参考文献にはしませんでした…。いつかまた挑戦したいと思います。

ご視聴、ありがとうございました!

とまあ、個人的には反省点ばかりのシンポジウムでした。ただ、シンポジウムで全体の議論をきれいにまとめるなんて至難のわざだし、それが良いとも限らないし、見てくださった個々の方に、断片的にでも何か残るところがあればいいなと思ってます。どうもありがとうございました!

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