[読書]ヒトラー演説の実像に迫る。高田博行『ヒトラー演説』

演説の名手であり、その力で国民からの強力な支持を得たヒトラー。現代でもYou Tubeなどで彼の演説を見ることができるが、そういう場で見られるのは、一部だけ切り取られたいかにも「ヒトラーらしい」演説である。では、ヒトラーの演説を実際のデータから分析するとどのような姿が見えるだろうか。本書は、著者は近現代のドイツ語史の専門家が、ヒトラーの演説で使われた語彙や当時の時代状況をもとに、ヒトラー演説の実像に迫った著作である。

目次

ヒトラーの演説をさまざまな角度から分析する

この本、とても面白かった。ヒトラーの演説というと強い口調とおおぶりなジェスチャーでドイツ国民に力強く訴えかけるという印象があるけど、彼の演説の持つ力を、様々な角度からとても丁寧に分析してあった。僕にとって面白かったのは、次のような箇所だ。

  1. ヒトラーが、演説の特徴をとらえて入念にレトリックを組み立て、ジェスチャーや発声法にも気を使っていたこと
  2. 拡声器、ラジオ、映画といった最新テクノロジーを、ヒトラーが有効に活用していたこと
  3. 敗色濃厚となってからのヒトラーが、演説に消極的な態度をとっていたこと

このうち1つめについて、筆者は150万語におよぶヒトラーの演説データベースをもとに、彼の演説に特徴的な語彙やレトリックを明らかにしている(会話データをもとに音声の分析までしている)。また、彼がジェスチャーや発声法にもいかに気を使っていたかも明らかになる。特に、オペラ歌手に発声の指導まで仰いでいたという点は驚きだ。それほど自分のもつ演説の力を熟知し、それを高めようとしていたのだろう。彼の演説は、非常に早い段階で完成の域に達している。天賦の才と並外れた努力がそれを可能にしたのだ。

演説をめぐる歴史的文脈

この本の面白いところは、ヒトラーの演説そのものを分析したことに加えて、それをとりまく歴史的文脈にも目を向けたところだ。ヒトラーや宣伝相ゲッベルスは、ヒトラーの演説を最大限効果的に活かす方法についても非常に熱心に模索していた。拡声器、ラジオ、映画、飛行機などの最新のテクノロジーを活かし、より多くの国民をいかに熱狂の渦に巻き込むか、綿密に考えて試行錯誤(もちろん失敗もあった)していく様子は圧巻だ。この本を読めば読むほど「演説の天才ヒトラー」「天才的な煽動政治家」というイメージに加えて、彼らがいかに努力してそれを成し遂げたのかということに思い至る。

力を失っていくヒトラー演説

しかし一方で、ドイツの戦争が次第に劣勢、そして敗色濃厚となっていく中で、ヒトラーの演説がその力を失っていく。人々は、言葉よりも実質的な情報や戦果を求めるようになっていくのだ。こうした「風」の変化を受けてヒトラー自身も演説に消極的になっていく様子も描かれており、その過程が面白い。偶像化した「ファシスト」ヒトラー像では見過ごされがちな、彼の弱気な一面がうかがえる。

「ふわっとした民意」の不気味さ

全体を通じて、ヒトラーがいかに天賦の演説の才と並外れた努力によって、当時の社会情勢に不満を抱いていた
ドイツ国民の「ふわっとした民意」をつかんで地滑り的な勝利を短期間でつかみ取り、それを失っていったのかがよく理解できる一冊だ。

おそらくヒトラー以上に「うまくやる」政治家はなかなか現れないだろう。それほど、彼の演説にかける努力はずば抜けている。それが民衆の強い支持を得る原動力だった。にもかかわらず、民意はそれだけでは満足しない。当たり前だけど、実質的な果実が得られなければ、ふわっとした民意は別の風に乗って急速に遠さがってしまう。後期、演説をすること自体に消極的になっていくヒトラーは、自分の演説の限界もよく知っていたのだろう。読後には、充実した一冊を読み終えた満足感とともに、「ふわっとした民意」の不気味さも心に残る一冊だった。

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