人生二度目の修士論文!エクセター大学の方がサポート充実なのはなぜ?

上の写真は、夜10時半、図書館から自宅に帰る途中の道で。知識としては知ってたけど、実際に見るとまだ慣れない明るい夜。

指導教官の先生から修士論文の原稿へのコメントが返ってきた。驚いたのはそのコメントの充実ぶりだ。なぜこんなに充実しているのかを、つらつらと考えてみた。もちろん指導教官の人柄・僕との相性・僕の働きかけもあるが、一番の理由は「指導教官が論文審査をしない」仕組みにあるのではないかと思う次第。

目次

驚き!びっしりコメントされる原稿

先週、指導教官の先生からDissertation(日本の修士論文相当)の原稿へのコメントが返ってきた。今回コメントされた部分は英語で12000wordsほどの分量。先行研究の整理と自分の研究の方法論を説明する、かなり重要な箇所だ。

このコメントに驚いた。提出したワードファイルのコメント機能を使って、びっしりとコメントされているのである。記述内容についてのコメントだけでなく、英文の意味の通りづらいところ、冠詞や動詞のミスまで添削されていて、ほぼ毎ページコメントがある状態だ。

日本の大学で修士論文を書いた時との違い

もう10年以上も前のことだが、僕は日本でも一度修士論文を書いている。分野も大学も国も時期も異なるので比べても仕方ないのだが、当時の指導教官の先生は、僕の修論を審査するその時まで、僕の修論を全部は読んでいない。僕はその先生から事前に一度だけ「一番自信がある章かない章のどちらかを見せなさい」と言われて、その提出した部分について口頭でコメントをもらっただけで、あとは中間発表会などでの指導を除けば、僕はほとんど独力で修士論文を仕上げた。当時の「論文は自分で書くもの、書き方は読んで学ぶもの」という風潮が強かったので、僕も特にそれに疑問や不満を持つことはなかった。他の学生さんも同じだったと思う。

エクセター大学での論文サポート体制

その時の経験に比べると、エクセター大学での修士論文執筆の方がはるかにサポートが充実していることは否めない。今のところ僕が受けているサービスは以下の通りである。

  1. 修士論文執筆のための指導教官の先生との面談が二週間に一度(一回一時間)ある
  2. 書いた原稿はその都度指導教官に送付して添削やコメントを受ける
  3. 語学サポート機関INTOで修士論文を書くワークショップに参加できる
  4. 語学サポート機関INTOでOne-to-Oneのチュートリアルが受けられる

論文サポートが充実しているのはなぜ?

僕は「だからエクセター大学が良くて日本の大学はダメ」というつもりはない。どちらかというと、エクセター大学の先生に比べると日本の先生の方が仕事熱心な印象もあるくらいだ(総じてイギリス人より日本人は仕事熱心である)。ではなぜ、自分はいま修士論文を書く上でこんな丁寧なサポートを受けられているのだろう? ちょっと不思議に思ったので理由を考えてみた。

  1. 先生の個人的な資質や、先生との個人的相性
  2. 事前のコミュニケーション
  3. 指導教官が修士論文の評価に関わらない仕組み

ラッキー要素も大きい

一つは身も蓋もないが、「先生に恵まれた」のが大きいのではないかと思う。すべての先生がこんなに丁寧にフィードバックをくれるとはあまり思えないので….。また、僕の場合は、そもそもエクセター大学の先生たちの本を読んでこの大学を留学先に選んだので、入学の段階でコース長に「指導教官はこの先生かこの先生のどっちかがいい」とダメ元で希望を伝えていた。その希望通りに決まったのもラッキーだったと思う。

人間関係づくりの努力もした

指導教官との関係づくりはとても大切だと思ったので、自分なりに努力もした。先生の論文はできるだけ目を通してわからないところは質問したし、論文執筆の予定も早めにスケジュールを立てて、先生の出張や夏休みの予定を把握した上で、定期的に面談予定を入れられるように調整した。毎回の面談直前にリマインダーを送るのも忘れない。「この学生はやる気がある」と思ってもらって先方のやる気を引き出さないことには話にならないからだ。こういう知恵は学生時代にはなかったので、年の功というやつかも。

修士論文審査の仕組み

ただ、正直なところ、論文サポートが手厚い一番大きな理由は、修士論文審査の仕組みではないかと思う。僕の学科の修士論文の審査をするのは、指導教官ではない学内の教員2名だそうだ。誰かは知らされていないが、そのうち一人はライティング研究の専門、もう一人は専門ではないらしい(だから非専門家向けに用語の定義や具体例を入れることを指導されている)。

日本の大学では、指導教官がそのまま論文の主査(主たる審査員)だった。どうもツイッターで教えていただいた話だと、日本の大学では修士ではこのケースがほとんどのよう。このケースだと、どうしても「温情審査」が出てくるのではないかと思う。もし修士号にふさわしくない論文が提出されたとしても、審査員と指導者が同じだと、それは落としにくいだろうと思う。

一方のエクセター大学の僕の学科では、指導教官は修士論文の成績評価にはタッチしない。とすると、学生の論文の出来が悪かった時に「温情で」パスさせるということができない。もしかしてその仕組みが生む緊張感が、手厚い指導につながっているのかな、と思った。

もちろん、他にも色々な違いがあると思う。修論指導のこの時期、エクセター大学の先生たちは授業も他の採点もない。入試業務にも関わらない。こういった制度の違いもありそうな気がするが、一学生にすぎない僕がこれ以上あれこれ憶測するのは控えておこう。また、僕が知らないだけで、日本ではもっと指導が丁寧な大学だってあるかもしれない。所詮は日本でもイギリスでもサンプル数1しか知らない人間の話なので、まあ適当に読み流してください。

ちなみに博士論文の審査は…

ちなみに博士論文の審査は、エクセター大学の場合、すべて学外の専門家が審査員となるそうだ。だから「内輪」の審査にはなりようがない。こうした仕組みは大学によって色々なようだ。ウェブサイト「発声練習」管理人のnext49さんが、以前のご自身のブログエントリを教えてくださった。なるほどー、エクセター大学で博士論文を書く場合、学外の審査員をアレンジするのは誰なんだろう?

博士号審査プロセスの透明性と教員・学生負担

http://next49.hatenadiary.jp/entry/20090515/p1

ここでちょっと思い出したのが、以前読んだ日本の某大学の博士論文。国語科の現職教員の方が書いた実践系の博士論文なのだけど、その質が博士論文にしては非常に控え目であった。どのくらい控え目かというと最初の二章を読んでもリサーチ・クエスチョンがよくわからなかった。「ええー、こんなんで博士論文になるの?」と思ってそこまでで放り投げてしまったのだが、あれはもしかすると、指導教官の先生が主査だったのではないか…と邪推する次第…。

あともう少し、頑張ります

などと思考がいろいろ横道にそれながら修士論文を書いている。もう帰国まで一ヶ月を切ったし、このあとは旅行の予定なども色々あるので、時間のあるうちに頑張ります!

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