書き手の意図と授業者の意図が衝突するとき。「評価カンファランス」での発見から①
先々週から今週にかけて、年度末評価の時期でした。僕の受け持つ国語の授業では、僕は1年間取り続けたカンファランスの記録を読み直しながら、一人ひとりの成長やこれからの期待についてコメントを書き、並行して子どもにもこの1年間の…
先々週から今週にかけて、年度末評価の時期でした。僕の受け持つ国語の授業では、僕は1年間取り続けたカンファランスの記録を読み直しながら、一人ひとりの成長やこれからの期待についてコメントを書き、並行して子どもにもこの1年間の…
1月5日・6日と、東京にいた頃から参加し続けている国語の勉強会に出ていた。2008年1月にはじまった勉強会だから、もう15年目に入る。メンバーの入れ替わりもありつつ、でもこれだけの期間継続しているのは素晴らしいことだ。今…
以前、「子供たちの「書けなさ」とどう向き合うか?」というエントリを書いた。全国大学国語教育学会での永井ほのりさんの発表を受けたものだが、永井さんの発表資料の「書けなさを可能性としてとらえる」姿勢は、今あらためて読んでも、…
以前に書いた下記エントリに関連して、作文教育における「制約」について考えている。制約はすべて不自由でわずらわしいものかといえば、そうではない。逆に制約がなく「自由に書いていいよ」と言われると全く自由に書けずに困ってしまう…
今日は、昨日の続きの短めのエントリ。同僚と話をしながら考えたことを整理する、自分のためのDiscovery Writing(発見のための書きもの)。 書くのが好きな子たちのスタイル 僕自身の子ども時代がそうだったように、…
先週の金曜日と今日、図工の同僚や国語科の同僚と表現全般や作文の授業のあり方について話し合う機会があり、これからより考えてみたい課題も見つかった。それは「書き手としての自分」と「教え手としての自分」にどう橋を架けるのかとい…
11月も半ばとなり、先月から取り組んでいた「説明と描写」ユニットがほぼ終了した。 実は今年の受け持ち学年、一学期の間は「子どもたちが力を発揮できている、成長している」実感を感じにくかったのだけど、9月の「俳人の時間」、1…
久々に国語の授業についての記録。以前に下記エントリで書いた「俳句創作と批評」の授業を終えて、10月からはまた通常の「作家の時間」(ライティング・ワークショップ)「読書家の時間」(リーディング・ワークショップ)に戻っている…
忙しくて少し時間がたってしまったのだけど、今日のエントリは9月にやった俳句創作の授業の振り返り。勉強仲間の助けも借りて、忙しい中でそこそこ準備して臨んだこの授業、手応えもあったけど、考えてしまうこともあった。最後に来るの…
先週の夏休みは特に何かに頑張るでもなく、ワクチン接種してNHKオンデマンドで昔の大河ドラマを見たり「映像の世紀」見たり、2回くらい近くの山に登ったり。わりとだらだら過ごしました。もうすぐ(風越は23日から!近隣の多くの公…