見えにくい学校司書の専門性

 

 

大阪の府立高校の約15%が昼休みや放課後に学校図書館を閉鎖していることを受けて、5年前に府知事として図書館専任司書を廃止した橋下市長が、ぶら下がり会見でコメントしている。

「裏を返したら、専任ショシなんて全員つけなくても8割の図書館は動いているわけですよ」
「高校にもなってショシを絶対おかなければいけないのか、それは大いに疑問ですよ」
「高校にもなって、図書館なんか開けておいて、本借りさせたらいいじゃないですか、自分達で管理させたらいいんです」
「8割が、人件費をかけずに、地域の、大阪府の創意工夫で図書館を運営できているって言ったら、こっちの方を評価すべきですよ」

と、なかなかに驚く発言の連続。8割の図書館が「動いている」と言ったって、その専任担当者がいなかったら「動いている」程度は、正直たかが知れているだろう。きっと「開館している=動いている」という発想なんだろうな。

それにしても、司書の専門性って本当に見えにくいものなんだな。橋下さんとしては、司書は「図書館の掃除をしたり、カウンターで本の貸出返却作業をしたりする人」なんだろうね。きっと高校時代の記憶がそうだったんだろう。「そんなの生徒でできるから人件費つける意味がない」感が発言の端々に感じられる。学校ニーズにあわせた蔵書構成とか、生徒や教員へのレファレンス・サービスとか、各種展示をはじめとした場のデザインとか、探究型学習をはじめとした授業サポートとか、そもそも想像の範囲外なんだろう。

でもまあ、これは別に橋下さんが特別なんじゃないと思う。自分の身の回りでも「司書もいた方がいいだろうけど、お金に限りがあるんだから、まずは別のものを」「司書は事務職だから非常勤で3年で雇い止め」みたいな事例を見聞きしている。司書の正規雇用削減の動きに対して司書教諭さんが奮闘したけど結局削減をふせげなかった残念な事例もある。

今、学校や自治体で予算の決定権を持っている人たちが、自分の子どもの頃の学校図書館のイメージをそのまま更新せずにいる、という可能性はけっこうあるはずだ。そういう人が「良く機能している学校図書館」の事例を知らないままで「司書ってただのカウンター当番でしょ?」みたいな認識だと、「そんなの非常勤でいいよね」「生徒がやればいいよね」となりやすい。橋下さんも、その一人なんだと思う。まずは、司書がいると学校図書館がどうなるのか、学校がどう変わりうるのかを説得力を持って示さないといけないんだけど、こういうのはどうしたらいいんだろうねえ。

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