まずお知らせ! 月末の5月31日に、全国大学国語教育学会(新大阪吹田大会)で「英語圏におけるTeachers as Writers研究に関する文献レビュー」という題で発表をします。以前にこちらのエントリで書いた博士研究の第一歩、文献調査段階の報告です。本当にタイトル通りの地味な発表ですが、英語圏のteachers as writers研究が概観できるのは、マイナーすぎてここだけです。よければおいでください。
今日のエントリは、この発表準備、つまり、研究の先行研究レビュー段階で、生成AI(Claude)をどう使ってきたかという話。この春に大学院に入って研究生活をスタートした自分は、正直、まだまだ試行錯誤中。のちのち、もっと良い使い方を発見できるかなと思っているのだけど、現時点での記録を残します。もしよければ、「そうそう!」でもいいし、「こうすると良いよ!」「自分はこう使ってるよ!」でもいいので、フィードバックをください。
この2ヶ月で感じたことは…
さてこのエントリ、自分の記録用に時間を追って書いたらとても長くなってしまったので、結論を先に書いておく。今の所、僕が考えている先行研究パートにおけるAIの活用の留意点は、以下の通りだ。「大学院に入りたての研究初心者の自分が」「研究のうちの先行研究パートにおいて」感じたサンプル1の話なので、あまり一般化せずに読んでほしい。
- 生成AIの提示する仮説は、少なくとも僕のような研究初心者にとっては、背景情報のない客観的な情報に見えてしまい、人間がそれに心理的に従属しやすい。これが研究の喜びをうばう可能性がある。
- したがって、先行研究をさらって「地図をつくる」「そこからストーリー(仮説)をつくる」までの段階は、AIを壁打ち相手や仮説形成に使わずに、すべて人力でやり、AIの利用は、自分が仮説を形成したあとの論理の穴を見つける作業や、情報の整理(要約)・翻訳などに限定するほうが良い。
- 人間が研究のプロセスで抱く探索の喜びや成長実感と、生成AIを用いることでの処理の高速化は、現状、トレードオフの関係にある(少なくとも自分にはそう見えてしまう)。それをどう接続するかという心理的課題がある。
では、どんな経験を経てそう思うようになったのか、以下、3月下旬から時系列で書いてみる。
Claudeの研究活用をはじめたころ
僕がClaudeの有料契約(Proプラン)を研究に使い始めたのは、大学院入学をひかえた3月下旬のこと。EduOps研究所・野本竜哉さんのClaude活用のオンライン講座を受けて「すご!」と契約した。最初はまずClaudeのすごさに圧倒された。何しろ、何十もある英語論文を、人間よりも遥かに早い速度で読み込んでしまうのだ。「なにこれ!」状態で、3月末までは無邪気に色々遊んでいた気がする。
研究のヒントを教えてもらう
当時気に入っていたのは、フォルダの中の論文から2つの論文を選び、それを、テーマ、研究手法、結論などの点で関連づけて、teachers as writers 研究のテーマにつながるヒントをもらっていたこと。結局アイディアとは異質なものの組み合わせでできるので、自分が思いつかないアイディアが生まれてくるんじゃないかと、毎日一度はこのプロンプトでClaudeに尋ねては、「へー」「なるほど、そんな切り口が…」と感心していた日々。でも、これはいつの間にか飽きてやらなくなっちゃったな…。アイディアを広げる意味では良いのだけど、びびっとくるのが個人的にはなかったのかもしれない。
論文を要素ごとに要約してもらう
同時期にはじめていたのが、次のプロンプトで論文の要約をつくる作業だった。①APA形式の出典表記、②研究の概要とリサーチ・クエスチョン、③研究デザイン、④サンプリング、⑤データの取り方、⑥研究の発見や示唆・新規性の、6項目別の要約を作成してもらった。この出力結果は、一つずつ手でコピペしてエクセルに項目ごとにエクセルに貼りつけて、読書猿さん『独学大全』にある「要素マトリクス」の簡易版を作っていた感じ。
おそらく、Claude coworkにこのマトリクスのテンプレートを手渡せば、ファイル自体も自動で作ってくれるはずだ。でも、コピペする時にちゃんと目を通すことが大事だなと思って、ここはあえて手作業でスプレッドシートに貼り付けている。このエクセルづくりは今も続いていて、おそらく今後も続くんじゃないかと思う。論文管理ソフトを使うよりも、マトリクスで内容が見られることと、コピペする手間をかける時に読むことに価値を感じている。
3月下旬は、この作業をしながら興味深い論文を見つけて、それをぼちぼち読み始めていた時期。でも、実際には引越して生活基盤を整えるのにおおわらわで、見積もりより全然読めてなかった時期でもある。
大学院入学!生成AI利用もいよいよ本格化
4月になって広島大学大学院に正式に入学し、研究活動も本格的に始まった。このころ、A4用紙1枚でいいとなぜか思い込んでいた4月下旬〆切の学会発表要旨が、実は4ページ以内と知って、めちゃくちゃ焦る。「このままでは間に合わない…!」と大急ぎでteachers as writersのキーワードでデータベースを検索したり、手元の文献の参考文献欄から芋づる式に増やしたりして、約80件の英語論文を入手した。しかし、全部目を通すなんて無理な話だ。そこで、Claudeにすべての論文の冒頭3ページを読み込ませ、teachers as writersの研究関心に近いものから遠いものへA〜Cにランク分けしてもらった(もちろん判定の理由も書かせた)。それでteachers as writersに関係の薄いもの(教師にフォーカスしていないものや第二言語文脈のもの等)を除外して、読む対象を58件まで絞った。
「レビューを書くプロンプト」を入手する
ここまでは、自分でもまあまあAIをうまく活用している気がしていたのだが、問題はここから先である。4月中旬に論文を精読するプロセスに入って、いったん論文群のまとまりや見通しをつけようと、Claudeのcowork(Opus4.7)に予備的なレビューの作成を依頼した。いや、正直いうと、このタイミングでなんだかすごいプロンプトをTwitter(X)で拾ってしまって使いたくなった、というのが正直なところだ。
その「すごいプロンプト」とは、これである。あとで調べたところ、もとはThreadsで3月中旬に投稿されていた”CLAUDE CAN NOW RESEARCH LIKE AN MIT PhD STUDENT”(ClaudeがMITの博士院生のようにリサーチできるようになった)という、文献レビューをするプロンプトらしい。それをX(Twitter)の @heyrimsha(Rimsha Bhardwaj) が拡散して、僕のところに流れてきたのだ。12のプロンプトなのでここに貼り付けると長くなる。興味のある人は、上のリンク先をたどってためしてほしい。

迷走のはじまり
そしてまあ、このプロンプトで先行研究を整理させると、本っ当にすごい。さまざまな切り口で先行研究をきれいにまとめて、全部で12の見栄えもいい分析ファイルを作成してくれる。その中で、ナラティブ・レビューまで書いてくれちゃったのだ。この質と量にまず圧倒された。そして、それが僕の迷走の始まりだった。
Claudeがまとめたこのレビューや関連ファイルを読めば読むほど、よくできている。これ以上のものをどうやって作るんだろうとか、生成AIがこうやって文献レビューをする時代に、人間の役割って何だろうとか、どうしたって真剣に考えてしまう。結局AIに読ませる材料を選ぶことと、プロンプトを書くことだけが人間の役割なんだろうか…。そんな疑問を指導教員の先生に漏らして、「もしかして客観的に見えるかもしれないけど、これはあすこまさんの関心ではありません」という励ましの言葉をいただいたのも、この頃のことである。
この助言はたしかにその通りだ。その頃僕には、teachers as writersの論文を順番に精読する中で、明確に「好き」になった論文があった。それはこの研究の主流ではないけれど、その論文に書かれた研究の潮流への批判意識が好きだったのだ。僕はその論文を柱になんとか自分なりの議論を組み立て、4月の要旨集の締め切りには、なんとか生成AIの提示したレビューとは違う、自分なりの文献レビューを作って提出した(要旨というよりもう全部です、という感じではあったが…)。
期限に間に合うかたちで無事に提出できたことにほっとはしたが、僕の心は弾まなかった。というのも、自分が期待していた「先行研究レビューをつくる楽しみ」が、Claudeを使ったことによって、かなり失われた感覚があったからである。
先行研究レビューって、なんのため?
そもそも先行研究レビューって、なんのためにやるのだろう。学問分野にとっては「これまでの先行研究を整理し、その中に議論の空白を見つけて、問うべき新しい問いを導くため」だろうけど、それを行う僕自身にとっては、文献レビューとは、未知の領域を求めて漕ぎ出す航海の旅なんだと思っていた。大航海時代の、まだどこにどんな大陸があるのかも判然としない時代に、地図を作りながら世界を徐々に明らかにしていく、自分で地図をつくるあのわくわくした感じ。僕はそれを先行研究レビューに求めていたのに、Claudeを使ったせいで、いきなり「世界の正しい地図」を手渡されて、「この地図の中の、どこかにまだある空白を探しなさい」と命じられた気分になってしまった。なんとかClaudeの言うがままではないレビューを作ろうとはしたが、いま思うとあのプロンプトのせいで(いや、悪いのはプロンプトではなく、それを使った僕なのだけど)、僕は文献レビューの「もっともおいしいところ」をだいなしにしてしまったのだ。
生成AIに自分の原稿を批判してもらう
5月のゴールデンウィーク。今度は、要旨集の原稿をもとに、5月末の学会発表を視野に資料をつくりはじめる。学会発表とは言っても、スライドだと雰囲気やプレゼン技術で論理をごまかせてしまうので、まずはがっつり文字の原稿を書く。ひとまず、5月中旬に所属ゼミでの発表があるので、それを目標に原稿を作り始めた。
さて、その原稿化のスタートに僕は何をしたか。これも馬鹿な行為だったのだが、まずは自分が作った4ページの要旨集をClaudeに評価してもらったのだ。いま思えば、前にClaudeが作ったレビューとは異なるレビューを自分で作り、それをClaudeに評価させたら、批判されるに決まっている。そんなことにも気づかず安易に評価させた結果、Claudeに「あすこまさんの作成したレビューはこの視点やこの論文が足りていない」「私の作成したレビューのほうが客観的に見て、バランスが良い」などと指摘されて「ぐぬぬ…」となってしまった。
生成AIの助言に逆らいにくい心理
こういう時、生成AIの助言は、正直断りにくい。その理由の一つは、やはり英語論文を読み込む量で僕を圧倒しているからだ。そして、人間と違って背景文脈が見えないがゆえに、妙な中立性を帯びて、客観的な正解のように見えてしまう。
考えてみれば人間の指導教員とはありがたいものだ。もちろん能力も経験も僕よりはるかに上なのだが、そうだとしても、その人固有の文脈や興味を背負っているので、パーフェクトでないこともまた明らかなのである。完璧でないからこそ、先生の助言をいったん専門家の知見として受け止めつつも、それを採用するかどうか一歩引いて考えられる。相手が完璧でないって、なんてすばらしいんだろう!
圧倒的なデータを持ち、背景の文脈がない生成AI相手では、一見もっともらしく言う技術が抜群に高いだけに、「このAIはどこが偏っているのか」の判断がしにくい。Claudeの批判を読みながら、僕はもはやClaudeの提示した「正解」(らしく見えるもの)を後追いするしかないのだろうか…と、気持ちが完全に行き詰まってしまった。まずい。このままではモチベーションを完全に失ってしまう。
いったん白紙にもどして手作業でやりなおす
そんな自分に危機感を持った自分は、ゴールデンウィーク後半に至って、やり方を完全に変えることにした。Claudeが作った先行研究の予備的レビューも、その後の自分の分析結果もいったん完全に白紙にして、4月のスクリーニングを通過した58編の論文を、全部読み直すことにしたのである。読みながら、論文と論文を関連づけ、ノートに手書きで流れを描く「地図」をつくり…と、要は最初から手作業で人間がやればよかったことを、遅まきながらはじめたのだ。
生成AIで日本語訳をつくる
もちろんぜんぶ英語で読んでいたら到底そんな時間はない。そこで、生成AIでがしがしと日本語訳をつくってそれを読むことにした。いちおうは(と書くくらい英語には自信がないのだが)10年前にイギリスの大学院修士を出た者として、日本語訳に頼るのは躊躇もあって、これまではできるだけ英語で読もうとしていた。そのほうが英語の力もつくからだ。しかし、背に腹はかえられない。もはやわりきってClaude翻訳者としてフルに使うことにして、まず日本語で概要をつかみ、直接引用したいところや、もとの文献を確認する必要がある時に英語を読むことを繰り返した。
「自分の地図」をつくる
そうやって、ノートの見開きに時系列にそって大きな流れを描きながら読んでいく。一つずつ論文を関連づけ、対立点を見つけて、グループ化する。その上で、先行する体系的レビューのストーリーを確認し、そこで語られていないストーリーを見出す。さらに論文を読んで、そのストーリーを強化したり、あるいはストーリー自体を微調整したりする。そうやって「地図」をつくり、「地図」から「ストーリー」をつくり、そこから「地図」をまた見直したりしているうちに、この世界の自分なりの輪郭がくっきりしてきて、だんだんと楽しくなってきた。そして5月中旬、自分なりに「よし、これでいこう」と思えるレビューにようやくたどりついて、13日のゼミ発表にこぎつけた。
もう一度、生成AIに批判させる
ゼミ発表の後、「ここまで自分の足場をつくればもう大丈夫」と思って、やらなきゃいいのに(二度あることは三度ある)、新しく作ったゼミ発表資料を再びClaudeにレビューさせてみた。今度もClaudeは自分の作ったレビューと僕の発表要旨を比較してあれこれ言っていたのだが、今度は、それを受け取るこちらの気持ちが違う。聞くべきことは聞いて、譲らないものは譲らない姿勢を持つことができた。これが「泥臭くても自分で地図をつくる」ことの最大限のメリットだろう。もちろん、個人の関心だけでは研究にならないので、網羅性で人間に勝る生成AIの助言に耳を傾ける必要はあるが、「でもそれは僕の関心じゃないんだよね」とAIに言える状態は作っておくべきなのだ。
作業の高速化と自分の喜びのジレンマ
長くなったが、僕は3月下旬からの約2ヶ月、僕はこんなふうにClaudeとつきあってきた。そこから得た教訓をもう一度書くと、次のようになる。
- 生成AIの提示する仮説は、少なくとも僕のような研究初心者にとっては、背景情報のない客観的な情報に見えてしまい、人間がそれに心理的に従属しやすい。これが研究の喜びをうばう可能性がある。
- したがって、先行研究をさらって「地図をつくる」「そこからストーリー(仮説)をつくる」までの段階は、AIを壁打ち相手や仮説形成に使わずに、すべて人力でやり、AIの利用は、自分が仮説を形成したあとの論理の穴を見つける作業や、情報の整理(要約)・翻訳などに限定するほうが良い。
- 人間が研究のプロセスで抱く探索の喜びや成長実感と、生成AIを用いることでの処理の高速化は、現状、トレードオフの関係にある(少なくとも自分にはそう見えてしまう)。それをどう接続するかという心理的課題がある。
思えば迷走した2ヶ月で、今後も生成AIをどう使うかは、色々と迷うのだと思う。特に、僕はやはり英語文献を自分で読む力を高めたいので、「高速で翻訳してくれるAIの魅力」にどう対峙するかは、大きな課題だ。成果をあげるために自分の喜びや充実感を自分で殺しては、何のために研究をするのかがわからず、本末転倒になってしまう。
そんなわけで、今後も色々と悩むのだと思うけど、研究初心者が最初の2ヶ月で感じたことの記録として、ここに残しておく。



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