遅い夏休みモードの9月上旬。初めての倫理審査の許可がおりました。

9月の第二週が終わった。先週はやはり時期的にのんびりできる期間だったようで、総合型選抜などの仕事はあるけれど、それ以外の日は福山平成大学のこども学科の建物も人も少なく、音楽教育専門の先生がピアノを弾いていたり、図工教育専門の先生が陶芸をしていたりと、いつもと違った雰囲気だった。そんな中で僕がやっていたのは、授業準備7割と研究の仕込み3割。今日のエントリは、その研究の仕込みに関連して、研究倫理のことを雑談的に書いてみる。

先週一番嬉しかったのは、研究室にパソコンが届いたこと!実はこれまでパソコンもプリンターも私物を使っていたんだけど、科研費(研究活動スタート支援)を獲得できたおかげで、パソコン・モニター・プリンターとかの基本的な研究環境がようやく整いました。これでようやくスタートラインにたてた気持ち。なお、写真はそれとは関係のない、朝の川沿い散歩で見つけた水鳥です。

 

本格的に書いたのは今回がはじめて。研究倫理審査の書類。

大学では教育だけでなく研究も当然仕事のうちに入るわけで、ぼくがいま取り組もうとしているのは、博士論文のテーマ「書き手としての教師」に関連する研究が2つと、それから大学の後期の授業をもとにして、来年あたり学内で小さな原稿を書こうかなと思っている研究の合計で3つ。

で、先週は、そのうち、博士論文に関連する研究の1つめの倫理審査がちょうど下りて、研究がはじめられるフェーズに入った。そして、もう一つの研究の倫理申請の書類を新しく書いて出した。さらに学内でやろうとしている小さな調査について、一度出して審査された後の再申請の締め切りもあった。そんな感じで研究倫理についての書類を書いたり見たりすることが多かったので、おのずと研究倫理について考えることにもなった。

研究倫理ってなに?という人もいると思うけど、そもそも研究というのは、自分の関係する教育分野で言えば、授業を観察したり、教室を舞台にして調査(アンケートやインタビューなど)をしたりするので、どうしたって調査対象となる人をまきこむことになる。しかも授業観察なら、相手は子どもが含まれることも多い。研究者が自分の研究の都合を優先して意識的無意識的に相手に危害を加えてしまう可能性も当然ある。研究倫理の審査とは、そうならないように、事前に所属コミュニティで倫理審査委員会のメンバーが研究計画を見て、アドバイスをくれる場というわけだ。そして、これにパスしないと研究自体がスタートできない。

今回研究倫理審査の書類を書いてまず思ったのが、素直にとても勉強になるな、ということ。たとえば、授業内でちょっとしたアンケートを取るとしよう。たったそれだけのことでも、僕が学生さんの成績を評価する権力を握っている立場であれば、学生さんはそれに忖度した回答をする可能性がある。だからアンケートを取るタイミングは、授業が終わって単位も出し終えた後の、権力関係が働かないタイミングのほうがのぞましい。また、他の学校の先生にインタビューをするときにも、たとえ相手が成人であっても、その人が断りやすく、また、学校での出来事を話す可能性もあるので、ゲートキーパーとして校長先生にも許可を取る必要がある。こういう具体的ケースを想定した一つひとつが、自分には勉強になることだらけだった。 未熟な自分の研究計画に、他の研究者がこうして倫理的なチェックを入れてくれるというのは、とても心強いし、ありがたいことだなと思う。

一方で、こうした審査は、最初に倫理申請をしてコメントをもらうまで1ヵ月かかり、修正勧告をうけて書き直して、それをまた審査してもらうのに1ヵ月くらいかかる。とすると、倫理申請をパスするのに2ヶ月は見た方がいい。研究を構想してから実際にデータを取りに入るまでには、やはりかなり時間がかかるんだなということもわかった。

前任校の筑駒時代、自分はかなりいい加減だったな…

こう経験してみると、前任校の筑駒時代にも科研費の奨励研究をいただいて実践研究をしていたのだけど、その時の倫理的な観点はかなりいい加減だったな、と振り返って思う。当時、僕は筑波大学の附属だったので、筑波大学の倫理審査をちゃんと通したんだろうか、と思い出そうとしても思い出せない。あったのかもしれないけれど、思い出せないくらい、やっぱり意識が低かったんだろうなと思う。自分が授業をしている相手に直接インタビューとかしてたもんなあ。今になると恥ずかしい。その後、エクセター大学に留学して研究倫理審査のことを学んだり、帰国後に勝田先生との共同研究を通して倫理審査の手続きについて触れたりはしたけれど、自分一人でやるのは今回がはじめて。だから、学ぶことだらけです。

中高生の探究活動では、どこまで求めるんだろう

ところで、ちょっと気になるのは、例えば中学生や高校生の探究的な学習の中で、どこまでこういう倫理的問題を扱うのか、ということだ。彼らは結構、思いつきでアンケートやインタビューをしようとしがち。もちろん中高生生は研究者ではないので、どこまで倫理的な基準を求めるのかというのは難しい話。ただ、自分のやることが相手にとって迷惑になることは常に知っておいたほうがいいし、少なくとも探究活動を指導する中高の先生たちは、こうした倫理的な問題について知っておくべきなのだろうな、という気はする。「探究公害」という言葉は好きではないのだけど、そういう言葉が生まれてきてしまう背景に、研究倫理への中高生の(つまり、それを指導する先生たちの)無頓着さは確実にあるだろうし。

ただ、修士や博士の経験がある人ならまだしも、すべての中高の先生にそれを必要な知識として求めるのは難しい。同時に、もっと根本的な問題として、「中高生の探究は、そもそも大学での「研究」を理想のフォーマットにすべきか?」という疑問もある。以前に『13歳からの研究倫理』という本を読んだけど、あれはちょっと「研究」の側によりすぎている気もした。このへんは、今はもう中高がメインフィールドではない自分にはわからないというか、知識もないのでうかつなことは言えないな、というのが正直なところ。むしろ、いま中高で探究をやっている先生たちに、考えを聞いてみたいところだ。教えてください。

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ちょっと話題がそれちゃったけど、ともあれ研究倫理も一つ通って、いよいよ研究が開始できる状況に。授業も始まるけど、両立、頑張っていきたいな。

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