[資料紹介]土屋耕治「ラーニングピラミッドの誤謬」

Facebookで情報がシェアされてきて知ったのだけど、南山大学の土屋耕治さんが「ラーニングピラミッドの誤謬: モデルの変遷と “神話” の終焉へ向けて」という論文と、その論文の丁寧な説明を、下記サイトで公開しています。

ラーニングピラミッドの誤謬

https://kojitsuchiya.wordpress.com/fallacyoflearningpyramid/

とても充実した、ラーニング・ピラミッドの成り立ちの推測

2018年4月初旬現在,日本語で読めるものとしては決定版となる」とご本人が書かれているだけあって、とても充実した内容。これは必見! 初期のDaleの「経験の三角錐」と現在流布しているバージョンとの違いも丁寧に解説されているけれど、一番面白いのは1913年のHaskellによる “A good word for the Montessori method” という論文が紹介されていること。

Haskell(1913)“A good word for the Montessori method”

http://www.jstor.org/stable/42821419?seq=1#page_scan_tab_contents

モンテッソーリ法の鍵が “行なうこと” にあるならば,他のどんなやり方よりも,子どもは自らの活動によって多くを学ぶだろう; 私たちは10聞いたうち2しか覚えない。私たちは10見たうち5を覚え,10触ったうち7を覚え,10行なったうち9を覚える。

筆者の土屋さんは、このモンテッソーリ法についての(何ら科学的根拠をともなわない)「箴言」が、Daleの「経験の三角錐」とまざって変化してラーニング・ピラミッドが成立し、流布していった可能性を指摘している。ううん、ありそうだ…。

「経験から導かれる直感を疑う仕組み」としての科学

実は僕のブログも、Googleで検索した時に最初のページに出てくるせいで、ラーニング・ピラミッドで検索して下記エントリに来る方が一定数いる。

ラーニング・ピラミッドは眉唾だ

2015.04.29

続・ラーニング・ピラミッドは眉唾だ

2015.07.15
土屋さんが後半「ラーニングピラミッドを使用することの悪影響」として語ることの中には、僕が上の記事で書いたものもあるのだけど、特にうんうんとうなずきながら読んだのは、次のところ。

私たちは,直接的経験によって法則を見出す一方,科学的・学術的検討によって明らかになった事柄も,私たちの知識や行動方略の更新に用いている。

本当に、そう思う。

直接的経験(具体的に手を動かすこと)からは導き得ない、直感に反した事柄というものが、世の中にはたくさんある。特にワークショップ型の、手を動かすことで学ぶ(Learning by doing)ことに興味のある僕のような人間は、ここに注意しないといけない。僕たちの実感だけを尊重していたら、地球はいつまでも宇宙の中心で、太陽がその周りをまわったままだ。人類が、「自分の直感を疑うシステム」を用いた科学的探究によって蓄積してきた知見と、効果的に学ぶ方法の一つとしての「経験から出発する」ことを、どう組み合わせるか。僕はそこに、やはり人類の学術的知見を訪ねる=本を使って調べる、というプロセスが不可欠なように思う。

日本語で読める決定版

この論文、実際に読んでみて、日本語で読めるものとしては決定版だと思った。専門家でもない僕のエントリが上位にいることには内心忸怩たるものがあったので、今後は積極的にこちらのサイトに誘導したい。

ラーニング・ピラミッドがなぜ広い支持を得たのかは、個人的にはとても大事な、人ごとではない問題だ。自分の信念や直感をサポートしてくれる心地良い「科学的根拠」に、僕たちはどこまで抵抗できるか。科学的研究は、自分の信念や直感を一歩立ち止まって疑うために、人類が練り上げてきた上手な仕組みだ。決して、自分の信念に都合の良い「科学的根拠」にとびついてはいけない。そういう時こそ、待てよ、と立ち止まる。現場の教員としては、そんな風に研究につきあっていきたい。言うのは簡単だけど、実践するのは難しいんだな…。

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