リーディング・ワークショップの授業びらき。ちょっと困る「成績」の話。

二学期にリーディング・ワークショップをやっていた高校生は、今学期はライティング・ワークショップを、そして二学期に新聞の読者投稿を書いていた中学生は、今学期はリーディング・ワークショップをやる予定。今日は、その中学生のリーディング・ワークショップの授業びらきの日だった。

困るのは「成績のつけ方」

授業びらきなので、「なぜこの形式の授業をやるのか」というところから話すのだけど、ちょっと困るのは「成績評価」の話の時。「評価」じゃないですよ、成績評価。日頃の評価はカンファランスや記録用紙を見て行なっているんだけど、成績をつけるのが困る。

僕の勤務校では100点満点で学期末の成績をつけるルール。でも、そもそも、この「点数をつける」仕組みと、ライティング/リーディング・ワークショップとは、とても相性が悪い。

ライティング・ワークショップでどう成績をつけているかは、下記エントリで書いた。そこに、「個々の作文を点数で評価することのデメリット」がたっぷりと書いてある。だから、僕のライティング・ワークショップは、点数自体はとても甘い。

作文の成績をどうつけてるの? という質問にお答えします。

2017.08.15

では、リーディング・ワークショップではというと、記録用紙と最後の報告を出してくれれば、「提出点」扱いでみんな満点ということにしている。

なんでそんな成績のつけ方なの?

リーディング・ワークショップの授業びらきの今日は、もちろん、なぜそんな成績のつけ方にするのかということも話している。

この授業ではみんなが個別に読書の目標を設定して取り組んでもらうけど、仮に、僕が「目標のレベル」で成績をつけたとしよう。するとみんなは、僕にウケの良さそうな高い目標を設定して、実際には読んでない難しい本のレビューをアマゾンで見て書くかもしれないね。また、逆に「目標の達成度」で成績をつけるとしたら、僕だったら確実に達成できる低いレベルの目標を設定して、「達成できました」というストーリーを作ろうとする。せっかく自分で読みたい本を読めるリーディング・ワークショップなのに、そうなっちゃったら面白くないよね。せっかくの機会なんだから、成績のことなんか気にせず、自分で自分に何が必要なのか、何をしたいのかを考えて取り組んで欲しい。だから、こちらの指定に従って報告を書いてくれれば、僕はその内容に関係なく満点をあげます。

ワークショップを「数値で評価する」ことのデメリット

ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップをやると、こと「成績の数字」という観点ではどんどん甘くなる。書くときも、とりわけ創作の時は、書き手を不安にさせて無用なプレッシャーを与えたくないし、読む時も、目標設定の時に無用な忖度をさせずに、できるだけ自分にとって有益な取り組みにして欲しい。そのためには、「成績」をシビアにしないのが一番良い。読み手や書き手を数値で評価しようとすると、正直なところ、デメリットが大きいのだ。

数年前までは、評価の観点を作って事前に配布して「成績の客観性」を保とうとしたり、逆に生徒の自己評価をそのまま点数に組み入れて、「授業理念と成績の一体化」を測ろうとしたこともあった。けれど、今の僕は、そのどちらにも否定的だ。一人一人の様子は、カンファランスや記録用紙でできるだけ見る。でも、成績評価という点ではとてもいい加減。それでいいと思う。数値の成績をつけることは、別に授業の目的ではないからだ。

現実との折り合いは…?

もちろんこれで完璧なんて思っていない。現実問題として、こんな成績のつけ方をしても文句を言われにくいのは、僕の勤務校では「生徒が学校の成績をあまり気にしない=推薦入試を使う生徒がほとんどいない」からだよな、とも思う。

このやり方だと、ライティング/リーディング・ワークショップは日本の普通の学校には広がらないよなあと問題点を感じる。一方では「生徒が自分で目標を立てて取り組む」ワークショップスタイルの授業だと、こうならざるを得ないんじゃないかという気もしている。

さてさて、テストとか点数って、一体何のためにあるんだろう。生徒を伸ばす評価と、現実の成績評価をつける仕組みに、どう折り合いをつければいいんだろう。ライティング/リーディング・ワークショップをやっていて、いつも突き当たるのはこの問題だ。そういえば、僕が初めて読んだ吉田新一郎さんの本も、評価についての本なのだった。

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