「振り返りを表明しない権利」について

学校というのは、目標を設定し、その目標に沿う行動を子どもたちに求める「強制機関」だ。どんなに言葉を糊塗しても、学校がそのような側面を持つことは否定できない。あとは、何の目的で、何を、どこまで強制するかという強制の目的・質・程度の違いである。学校では、教育目的でどこまでの強制が正当化されるだろうか。言い方を変えると、生徒はどこまでの自由が認められるのだろうか。

フォーマットとしての「振り返り」

そんなことを改めて思ったのは、先日、子どもたちの小学校の授業を見学したからだ。ぼくの子どもたちが通う公立小学校は、月に1回、公開授業(授業参観)を行っている。ふだん小学校の授業を見るチャンスが少ない僕は、仕事上の関心からできる限り参観している。(傍目には「かなり教育熱心な父親」に見えるはずだけど、まあ、それはそれで否定しない)。

その授業参観で、小6娘の担任の先生が、よく振り返りを書かせる。「はい、では今日の授業で何を学んだか振り返りましょう」「はい、では最初と最後で考え方にどんな変化があったのかを書きましょう」という具合である。僕はこれを見るたびに「たった45分の授業で毎回何か変化や成長を記述することを求められる理不尽さ」を思うし、何より「毎回45分で成長したら怖いでしょ」と思うのだけど、この授業はこういう「フォーマット」なのだ。娘も慣れっこになって、「最初は○○だったけど○○だと思いました」と書いている。

成長を演出するだけのもの

以前にも下記エントリで書いたけど、「強制された振り返り」はやっても無駄だし、生徒にとってもプラスにはならないだろう。例えば、小学生だった頃の僕は「担任が喜ぶようなコメントを書くこと」に必死で、「授業後の感想」で成長をアピールするために「初発の感想」をわざと浅く書くのは日常茶飯事だった。たぶん、「フォーマットとしての振り返り」は僕のような、成長や変化を演出するだけの生徒を少なからず生むのではないか。それでは、本来の振り返りには程遠いだろう。

「振り返り」はなぜ「かったるいアレ」になるのか

2016.05.05

ジャーナルと大福帳

今の僕は振り返りの効用自体は認めつつも、学校の授業で振り返りを全員に書かせようとはしていない。この一学期、中学の授業ではジャーナルを、高校の授業では大福帳を使っていたのだが、これは「授業に関係ないことも含めて何を書いても良い」「書くことがなければ何かを書き写しても良い」というものなので、「振り返り」とは呼べないと思う。現に、授業について関係のあることを書いてくる生徒は、ざっと見て3分の1もいない。ちょっとした記述で気になった生徒に声をかけたり、個別に授業のフォローをしたりなど、どちらかというと、生徒とのコミュニケーション手段になっている。中学生の「ジャーナル」は、「いま、ここで」実践の追試なので生徒にコピーを配布しているのだが、生徒は必ずこれを読んでいる。僕の自作のプリントより視聴率は高い(笑)

今学期も使うことにしました、大福帳。

2016.09.09

授業で「ジャーナル」はじめました

2017.04.15

「振り返りを表明しない権利」

僕がしていることは、要するに「生徒が振り返ろうと思えば振り返られる」環境を用意するにとどめて、振り返りを強制はしないということである。よく言うと振り返りの機会を与えつつ「振り返りを表明しない権利」を確保しているとも言える。

読書教育における「読まない権利」、作文教育における「書かない権利」と同じで、実際の教室でのこの種の扱いは難しい。「振り返りを表明しない権利」があったほうが安心できる生徒がいることは想像に難くないが、実際にどこまでその権利を確保すべきなのか、あるいは確保できるのかは、よくわからない。もともと学校は強制機関なんだからと割り切って、もっと積極的に書かせてもいいのかもしれない。やり方しだいでは、実際に振り返りを書き続けることでの効果というのは確かにあるのだろうから。

結局のところそれをしていないのは、教育観や学習効果の問題というよりも、「僕が嫌だから」というに過ぎないのである。権力者である担任の先生に無邪気に媚びを売り続けた小学校時代は、僕にとっての黒歴史なのである。ああいう思いをする生徒がいるかもと思うと、どうしても一歩踏み出す気がしない。今学期は、授業開始まで振り返りジャーナルを書かせようかと迷ってもいたのだけど、結局今学期も変わらなかった。そして、なんとなくそれで良いような気がしている。とはいえ、実のところ、僕のスタンスが妥当なのか自信もないし、この文章が自分の信念を強化してしまう弊害も感じているのだ。難しい…。

この記事のシェアはこちらからどうぞ!

2 件のコメント

  • 毎時の振り返りは、振り返りの習慣化には良いかもしれませんが、ふっと気づくことが大切かなと、仕事の中でも思います。視点や土台がかわる感じでしょうか。

    • ふっと気づくというのは、天祐のようなもので、働きかけはそもそもできないものなのでしょうか。振り返りの材料やきっかけを色々と用意しておくくらいが関の山で、「さあ、振り返りなさい」というものではないということでしょうか。そのへんが気になります。