ある学校図書館での探究型授業:日々の改善と好奇心の育てかた。

先週、探究型学習でとても有名な、とある学校図書館に見学にうかがった。実は毎年訪問している学校図書館なのだけど、相変わらずの素晴らしい設備と充実したカリキュラム。見学メモがわりに考えたことを書いてみたい。

ブラッシュアップの秘訣はミーティング

この図書館をはじめて訪れたのは、もう5年前のこと。当時からすでに探究型学習のトップランナーとして有名な学校図書館だった。普通の感覚なら、「これで形はできた」となるところ。ところが、この学校はその後訪れるたびに必ず何か改善点があるのだ。これは本当に驚き。「よく頑張ったしここで一息」ってならないのかな?

この学校が毎年改善を重ねられる最大の理由は、「時間割のなかに担当教員のミーティングが組まれていること」にある。探究型学習のプログラムは司書教諭、情報科教諭、教科担当者のティームティーチングで運営されているのだが、その関係者が集まるミーティングが、時間割の「空きコマ」の中にきちんと設定されているのだ。これはなかなかできないことですよ。でも、これがあるから有機的なチームプレーになって、毎年改善できるんだろうなあ。不断の改善、しんどそうでもあるけれど(笑)

一本道の探究:丁寧だからこその「弱み」

こうした丁寧なブラッシュアップの結果、この学校の探究型学習のカリキュラムはとても丁寧で、緻密に積み上げたものになっている。レポートを書く前に中間発表をする。全体の探究の流れを最初に「ミニ探究」で経験させる。自分の議論に批判的観点を加えるためのワークシートを用意する…などなど。「決して偏差値の高い生徒たちではない」のだそうだけれど、「ここまではスキルとして教える」という意識が徹底していて、実際にその質が年々アップしているのだからすごい。

ただ一方で、ある意味でそこまで徹底してスキル化した探究型学習を展開すると、どうしても弱みも出てくる。質を保証するためにどうしても「調べ方の手順」「レポートの書き方」がマニュアル化されてしまい、「一本道の探究」になってしまうのだ。

これはたしかに僕の好みとは違う。けれど、批判する気もない。そもそも全てを満たすのは難しいのだから、ここまで徹底してマニュアル化して改善を重ねるいくこと自体に大きな価値を感じている。

「スキルは教えられても、知的好奇心は教えられない」

この日、司書教諭の先生とお食事していて考えさせられたのが、「スキルは教えられても、知的好奇心は教えられない」という言葉だった。ここまで徹底してスキル化して教えても、どうしても探究にのめりこむ生徒とそうでない生徒が出てくる。その差はどこにあるんだろう?

その先生のお話だと、「熱中する子や質の高い探究をする子と、読書量の相関はある」とのこと。そして、「親が研究職であることも関係がありそう」とのことだ。語彙や知識が豊富にあって、モデルとなる大人が身近にいるということかなあ。中学生になる前の段階で種が播かれているという気もする。このへんは興味もあるけれど、すぐに結論に飛びつくのは危険そうだ。

もちろん、この学校の探究型学習のあり方が唯一とは思わない。この方向性での課題もある。けれど、どんなかたちを目指すのであれ、すぐれた鏡として参照したい学校だ。感心するだけじゃなくて、僕も頑張らないといけない。一人で頑張るのではなく、チームプレーができるように頑張らなくてはね。

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4 件のコメント

  • 時間をあわせて授業を複数の教員で創るのは楽しく有意義ですね。いい授業をやるにはそのための仕込みや準備が欠かせないのに、それがシステムの中に組み込まれてないのは、本当にはその意味を理解できてないのかも。
    私が以前いた(東京の)学校では「(英語の)多読」の授業で、また近隣の教師たちが夜に定期的に集まって(大学の先生をスーパーバイザーに招いて)「国際理解教育・開発教育」の授業づくりをやった経験があります。疲れが吹っ飛ぶぐらい楽しく、最高の「研修」になりました。あれは教師自身の「部活動」だったかも。

    • システムに組み込むことの大変さと大切さですね。自分の勤務校でもシステムの中には組み込めていません…。

    • ありがとうございます。博士論文ですか、チャレンジしがいがありますね!