教室でどう扱う?「読者の権利10か条」

今年受け持つ高校1年生の授業で、5月はリーディング・ワークショップをする。昨日はその第一回目の授業で「読者の権利10か条」を紹介したのだけど、この10か条、学校現場ではどんなふうに付き合えばよいか、なかなか悩ましい10か条だった。今日のエントリは、リーディング・ワークショップにおける「読者の権利10か条」の扱いについて。

ペナック「読者の権利10か条」

「読者の権利10か条」は、ダニエル・ペナック「奔放な読書」で提唱されている権利だ。

  1. 読まない権利
  2. 飛ばし読みする権利
  3. 読み終えない権利
  4. 読み直す権利
  5. なんでも読む権利
  6. 本の世界に染まる権利(ボヴァリズムの権利)
  7. どこで読んでもいい権利
  8. 拾い読みする権利
  9. 声に出して読む権利
  10. 読んだことを黙っておく権利

    この権利のリスト、図書館業界や読書教育の方の間ではわりと有名らしい。僕の尊敬するナンシー・アトウェルもこのリストについて、

    熟練して、意欲もあり、批判的に読める読者なら実際にやっているにもかかわらず、教師が親たちが忘れがちだったり、理解していなかったりするリスト。あるいは、自分ではやっているくせに子どもには禁じているリスト。(The Reading Zone 第2版, p33)

    と書いていて、リーディング・ワークショップの最初の一週間のミニレッスンで扱っているそうだ。

    実際の教室で、どこまでできる?

    しかし、この10か条を実際の教室でどこまでできるのかという話になると、これがなかなか悩ましい。「飛ばし読みする権利」「読み終えない権利」「読み直す権利」「なんでも読む権利」「本の世界に染まる権利(ボヴァリズムの権利)」あたりは全く問題ない。問題含みなのは、「どこで読んでもいい権利」「読んだことを黙っておく権利」「読まない権利」あたりだ。

    どこで読んでもいい権利

    学校でやっている以上、本当に「どこで読んでもいい」とは言えない。僕の授業の場合は、「図書館の中の、合図ハンドベルが聞こえる範囲であれば、どこにいても、どんな格好で読んでもいい」ということになっている。

    読んだことを黙っておく権利

    この権利も充分に守られているとはいえない。読んだ本について毎回記録を出すことを求めているので、最低限、僕には知らせることになっている(もちろん「読んでも書かない自由」は以前としてあるわけだけど、全くの白紙というわけにもいかないだろう)。仕方ないこととはいえ、読者のプライバシーはここでは守られていない

    そして、今回のリーディング・ワークショップでは、アトウェルのリーディング・ワークショップとは異なって、授業中に読んだ本について3人組で1分で紹介しあう「共有の時間」を設けている。それは、僕のリーディング・ワークショップは読書会と違って「個別自由読書」(Independent Reading)なので「本についておしゃべりする」楽しさを、少しでも設けたかったからだ。

    でも、この「共有の時間」については、「聞いているだけ」の参加も認めるようにした。読むのはいいけど、自分が何の本を読んだか、いちいち話したくない、という人も当然いるだろうから。ただ、これも数名程度なら許容できるけど、全員が「聞いているだけ」になると、授業者としては困っちゃうなあ…。

    読まない権利

    「読まない権利」をどうするかという問題にいたっては、「結局、学校とは強制機関なのだ」という原則に立ち返らざるを得ない。結論から言うと、僕の授業では、「読まない権利」は認めていない。「授業の狙いが狙いなので読まないことを認めるわけにはいかないけど、授業時間に人前で読むのは、人目を意識して苦痛だ、という人がいたら話してほしい。どういう風にすればいいか、相談にのる」というにとどまっている。

    「授業なんだから読まない権利を認めないのは当たり前」と言われればそのとおり。でも一方で、「書かないことを許容する空間だと、かえって書きやすくなる」ことを、僕は経験的に知っている。おそらく読みでも、「読まないことを許容する空間だと、かえって読みやすくなる」はずだ。だから、授業という強制の場と、「読まない権利」の間のバランスをなんとかとっていけないかなと思っている。

    他に付け加える権利はある?

    ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップに関心のある人なら読み逃せないブログ「WW/RW便り」には、「「読者の権利 10ヶ条」再考」というエントリがある。

    「読者の権利 10ヶ条」再考

    http://wwletter.blogspot.jp/2012/11/10.html

    ここでは、「自分たちで10か条に新しい権利を付け加える」ことが推奨されているけど、これはなかなか面白い試みだと思う。

    実際、アトウェルの学校では最初の一週間のミニレッスンで、読者の権利10か条について話し合っていて、その結果、第3条「読み終えない権利」に、「または、最後だけ読む権利」が加わり、第11条として「たくさんの良い本に出会う権利」が付け加わっている。

    今回、僕のクラスでも「新たに付け加える権利はあるかな?」と聞いてみた。残念ながら時間もなくてその場でじっくり話し合うようなことはできなかったのだけど、あとからぽつぽつと「相談しながら読む権利」「イヤホンをつけながら読む権利」と言っている子たちがいたので、それを採用した。

    学校は「強制機関」ではあるけれど…

    繰り返すと、学校が強制機関なのは逃れられないところだ。けれど、教師の側はそれに自覚的で、できれば余計な強制は減らしたいと思う。生徒の側の選択の余地を増やして、読書に集中できる居心地の良い環境を整えたい。ペナックの「読者の権利10か条」は、別にそれを守ることが目的の金科玉条ではないけれど、リーディング・ワークショップをやっている先生にとっては、自分のワークショップの性質を考える、よい鏡になると思う。

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    1 個のコメント

  11. できるだけ学校が強制機関にならぬようにした方がいいと思いますし、また、具体的な事例に対応すれば、わりと解決策はでてきそうに思います。よほど、その授業に参加したくなければ、参加しなくていいようにまた別の対応も可能であればいいなと思いますが、たぶんそういうケースも実際にはなさそうに思います。
    「読まない権利」などは無理やり読まされるというものに対抗するんでしょうけれど、実際には読んだふりしてすませる人がほとんどかも。国語の授業でも短いテキストでも実際には読んでない生徒さんが多いときいたことがあります。
    「読者の権利」さすが権利意識の高さを感じておもしろいなと思いました。日本とちがいますね。

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