目には見えにくい、「学校図書館づくりの一年目」

昨日は出張デー。午前中は他校の図書館見学、午後は別の学校にChromebookを使った授業の見学にうかがった。今日のエントリはその午前中に訪問した図書館のお話。

目次

どう作る?学校図書館

午前中に訪問した学校では、以前に見学したことのある別の学校の司書さんが、異動して一年目となる。その方の前任校での図書館がとてもすてきだったので、「ああいう図書館を作った方が、新しい勤務先でどうやって別の図書館を作るのだろう」という興味での訪問だった。「できあがった素晴らしい図書館」ではなく、プロセスを見たいな。そう思ってうかがったところ、期待どおりに図書館づくりの舞台裏をうかがえて、とてもおもしろい訪問だった。

図書館は、今のままでも素人のぱっと見には「ふつうに良い図書館」。広々として、明るい。でも、司書さんに案内してもらいながら見ていくと、蔵書構成が偏っていたり(コミックや物語がとても多い)、別置コーナーが曖昧になっていたり、理系の本の情報が古かったりと、課題がいくつも見えてくる。なんでも以前は授業利用にとても熱心だった図書館だそうで、そちらに力を入れるあまり、書棚の整理まで手がまわっていなかったのだろうか。近年は貸出冊数も減り、授業利用されていた先生も、他校に異動されてしまったという。

ということで、今年着任した司書さんがここで集中的になさっているのは「除籍」だそうだ。まず書庫の本を整理し、古いものは除籍する(書庫の本には発行年が目視できるしおりが挟まれ、除籍候補の本は手前に少し)。空いたスペースに図書館の古い本を移し…という地味な作業を集中して延々と。勤務時間の3分の1は除籍にあてている。除籍のために必要な会議での手続きや教員への協力呼びかけのプリントなどを見させてもらい、「この地味な作業の連続が図書館づくりの基本なんだなあ」と感嘆する。

教員には理解しにくい「除籍」の大切さ

僕も、勤務校で関わるまでは知らなかった。除籍の大切さに。古い本、動かない本を除籍しないと、周りの本まで「死んでしまう」のだ。でも、僕ら教員は、たとえ読書家であろうがそこまで思い至らない。実際に僕は「本を捨てるとはどういうことか」という年上の同僚の反発にもあった。おそらくここの図書館でもあるだろう、除籍の際の波風。あるいは無風。それに対処するために、この司書さんは除籍をひとつのきっかけ仕事にして教員とのコミュニケーションの回路をつくる、というつもりでやっていらした。そのための、地味な作業に大変な労力を割かれている。

生徒と教職員に「ボールを投げる」

この除籍の件だけでなく、利用者とのコミュニケーションの回路をつくる作業を、「ボールを投げる」とおっしゃっていた。生徒に対しても、教員に対しても。除籍をきっかけに話を聞きに行く。教員向けや生徒向けの図書館通信を発行する。オリジナルバーコード発行などの生徒向け企画を作る。図書館に来た人に立ち話する。放課後の図書館で音楽を流す。とにかく色々と相手にボールを渡して、反応を見る。

すべてがうまくいくわけでは当然ない。例えば、ある教員向けのお知らせに「反応はありますか」と聞いたら「今のところないです」と笑って、「でも前の学校でも毎年やっていたら5年目には反応があったので」と続けられた。そのくらいの見通しでやっている。

どうなるのかな? 数年後の姿

現時点でも、素人には「ふつうの、よい雰囲気の学校図書館」に見える。でも、その長所と短所を見つけ、そうなった過去の経緯をきちんと資料を読んで把握し(1970年代の資料まで保存されていた)、伝統を受け止めながらも問題点を把握する。そして、一年間様子を見ながら、教員や生徒とのキャッチボールを通じて、少しずつ今後のビジョンを作り上げていく。

今はまだ、そのビジョンのすべては形になっていない。でもおそらく司書さんにはこの図書館の数年後の姿が、少しずつ見えてきているのだろう。そこに至るには、まだまだ時間がかかる。その途中を見せていただいたことはラッキーだった。一年ごとにここを訪れれば、少しずつ変わっていく様子が見られるに違いない。また来よう。

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