[読書] 読書教育の重要性と方向性を明確にする一冊。猪原敬介『読書と言語能力』(1)読書教育編

結論から書くと、この本は僕にとってとても良い本だった。だから、僕と似ている人にこの本を薦めたい。つまり、学術的な裏づけも意識しつつ授業をしたい国語科教員や、国語科の領域をフィールドにした研究に関心のある国語科教員にはうってつけの本である。

僕はふだんは読書記録は一回のエントリで書くけれど、この本についてはメモしたい内容も多いので、2回に分けて感想をまとめておこう。一回目はこの本から得られる読書教育への示唆について、もう一回はこの本の研究入門書的な側面についてだ。今日はその一回目である。

この本が読書教育について示唆すること

この本は、英米圏及び日本語圏の先行研究や筆者たちの研究結果に基づいて、読書教育についての幾つかの重要な示唆を含んでいる。

  1. 読書は語彙力を伸ばす
  2. 読書には他の語彙獲得手段と比べた時のメリットがある
  3. 読書で語彙力が伸びるには、一定の条件が必要である

今回のエントリでは、これらの知見についてまとめてみたい。

「読書教育」についての補足

このエントリで「読書教育」や「読書の効果」という言葉を使う時、その読書とは「教科の学力向上に結びつく手段としての読書」という意味に限定している。「心の安らぎや楽しみを目的とした読書」については一切考慮していない。僕は後者のタイプの読書の存在を否定はしないし、実際にその経験もしてきた。しかし、何が心の安らぎや楽しみになるのかは人それぞれであり、読書以外にも音楽やテレビや映画やゲームも当然楽しみの源泉になる。そして、この時に他の娯楽を無視して読書だけを特権的に学校で「公認」することは正当化されないと思うし、それは「楽しみとしての読書」の価値を尊重しているようで、かえって毀損しているとすら思う。

繰り返すと、国語科教員という職業人としての僕が読書教育に関心を持つのは、「読書はそれ自体が素晴らしいものだから」「読書の楽しさを伝えたいから」ではない。単に「読書が国語科で育てるべき言語力を伸ばす有効な手段と思うから」であり、教員である以上、自分の体験やそこからの読書への個人的思い入れに制限をかけて、こうした姿勢を保つべきだと思っている。

楽しみのための読書は、授業時間外に生徒が自由意思で行うものだ。もしも授業中にやりたいのであれば、机の下や教科書を立てた陰でこっそりと楽しむのがいい。僕だってそうしてきた。

読書は語彙力を伸ばす

「読書は国語力を伸ばす」となんとなく思っている国語教師は多い。僕もそうなのだが、どうしてなのかについては説得力のある説明ができないでいた。

この本の大きな意義は、(1)教育心理学の手法を用いて読書量と言語力に正の相関があることを明らかにし、同時に(2)認知科学的研究の手法で、人間が読書によって語彙を獲得する「用法の学習としての読書」のプロセスについても、説得力のあるモデルを提出したことにある。

(1)については英語圏の論文では言われてきたことだが日本語での研究には乏しく、(2)については英語圏のものも含めてまだ研究があまり進んでいない部分らしい。これらの研究によって、読書が語彙力を伸ばす因果関係についてもほぼ言えると言って良いところまで立証した。

語彙獲得手段としての読書のメリット

筆者によると、語彙獲得手段としての読書は、他の手段に比べて次のようなメリットがある。

メリット1:語彙レベルが高い

Hayes&Ahrens(1988)によると、大学生であっても話し言葉で使われる語彙レベルは非常に易しいものが大半である。話し言葉だけでは高度な語彙を習得できないのだ。従って、語彙レベルを高めようとするときに、書き言葉を読む読書の重要性は高い

メリット2:一人で実施できる

筆者が力説する読書のメリットが、読書は一人できるということ。このメリットを理解するには、まずは言語力の発達には家庭の影響が大きいことを理解しないといけない。

言語力における家庭の影響

安藤(2011)によると、言語的知性は遺伝によって規定される割合は約14%であり、言語力は遺伝よりも環境的要因が大きい(約86%)。その内訳は共有環境(主に家庭環境)が56%、非共有環境(主に家庭以外の環境)が28%と、家庭の影響がとても大きい。家庭の「資本」が次世代にそのまま反映されるのが言語力なのである。

また、言語力については、早期の言語力が高いほどその後も言語力を伸ばしていける傾向が認められる。たとえば、Verhoeven et al. (2011)は、「小学校一年生時の語彙力の差は、6年生になってもほぼそのままであった」ことを示している。

まとめると、幼少期の家庭教育が将来にわたって大きく影響しやすいのが言語力の領域なのだ。

「一人でできる」読書の特性

こうした状況の中、筆者は「一人でできる」という読書の特性を、「言語学習の希望になり得るもの」と考えている。言語力に影響を与える様々な要因の中で、読書は自分がやろうと思えば一人でできる語彙学習なのだ。もっとも読書習慣や本を手にとろうという意欲さえも幼少期の家庭教育に影響されるだろうから、展望はそう明るいわけではないが、とにもかくにも、「周囲の環境に影響されず一人でできる」ことの意味は大きいというわけだ。

以上のようなメリットが、他の語彙獲得学習よりも読書を優位なものにしていると考えられる。もっとも、筆者も断っているが、他の学習手段と読書の比較研究については、今後の研究の進展を待たないといけない。

読書で語彙力が伸びるための条件

語彙力を伸ばすのに有効な読書だが、とにかく何でも読めば語彙力が伸びるわけではない。筆者によると、暫定的な結論として、

本人の言語力にアンバランスなところがなく,最低限の水準まで高まっていることを確認した上で、本人の言語力の水準に合わせた本を読ませる (p.238)

ことが大事だということだ。このうち、普通科の中高生を教える僕にとって大事なのは最後の「本人の言語力の水準に合わせた本を読ませる」ということだろう。

例えばSwanborn and De Glopper (2002)は、教育心理学的な実験によって、ある文章に対して十分な言語力を持つことがその文章から語彙力などの言語力を伸ばす条件であることを示している。また、認知科学の視点から考えても、「テキスト内に未知語がなければ新しい語彙を学ぶことはできないが、未知語があまりに多く含まれていると類推が働かずに語彙学習が進まない」。したがって、「本人の水準にあった本を読む」ことは、読書で語彙を増やすための重要な手段なのだ。

この本の示唆から僕たち現場教員が学べること

この本における以上の示唆から、ぼくたちは何を学べるだろうか。以下、考えられることを書いてみよう。

小学校低学年での言語学習の重要性

第一に意識すべきなのは、小学校(しかもおそらく低学年)段階での読書指導が、言語の発達に与える影響が大きそうだということだ。言語の発達は家庭の言語に非常に影響される。おそらく、就学前の段階で子どもを連れて図書館に足しげく通うような家庭と、まるで本のない家庭では、入学の段階で大きな差がすでについてしまっている。そして、この時点で言語力の高いこどもは、ますます言語力が高くなるのである。

本当は小学校低学年だと遅すぎで、保育園での読書指導こそ重要なのかもしれない。でも現行の制度下では、まずは小学校低学年での言語教育の充実がとても大切だということになる。

個別自由読書の重要性

また、言語教育の観点からは、「本人の言語力の水準にあわせた本を読む」ことの重要性も忘れないようにしたい。いくら読んでも、本人にとって易しすぎる(未知語がない)、または難しすぎる(未知語が多すぎる)場合には、言語力の発達は望みにくい、というのだ。

こうした観点からは、本人が自分にあった本を選んで読む活動(個別自由読書)を学校の国語教育に導入することが、積極的に支持されるだろう。たとえばリーディング・ワークショップなどはその典型例である。

もちろん今回の調査は語彙力という観点のみで読書の有用性を論じているにすぎない。だから「教室で全員が一斉に同じ文章を読むこと」や「一律に指定した課題図書を与えること」の効果について、短絡的な意見を述べることは控えよう。こうした課題には、語彙力以外の点で個別自由読書にまさる点があるかもしれないからである。

しかしながら、日本の国語の授業には、個別自由読書が少なすぎる(というよりも中高では朝読を除いてほとんどない)。個別自由読書は、ただの生徒の楽しみか、あるいは授業時間をわざわざ割く価値のないことだと捉えられてきた。僕たち国語科教員は生徒に「本を読め」といいつつ、授業ではそのための時間を割かない。そして、教科書に載っている、あるいは教員が選んだ「全員が読むべき文章」を、何時間もかけて一斉に読んできた。それが、国語教育の普通のあり方である。

精読重視のそのやり方は必ずしも世界共通のスタンダードではない。ぼくの子どもが通ったイギリスの小学校では「全員で同じ文章を何回もかけて精読する」授業は一度もなかったし、ナンシー・アトウェルのリーディング・ワークショップは完全な個別自由読書で、しかも共通テストでも高い成果をあげている。

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子どもの言語力をあげるには、色々なアプローチがある。そして、個別自由読書は、本書にある最新の研究からも支持され、かついまの日本ではあまりとられていないアプローチである。今後、積極的に検討されていく価値があると思う。

読書の価値と読書教育の方向性に示唆を与える本

僕が不勉強なせいもあるが、これまで、読書の効果を主張する研究書は、古くてしかも翻訳の『読書はパワー』くらいしか読んだことがなかった。リーディング・ワークショップのような実践書は数多くあるものの、それは学術的な知見とは言いにくかった。

今回読んだ『読書と言語能力』は、日本の、しかも新しい研究だ。多くの国語科教員に読まれて有効に活用されることを期待したい。個人的には個別自由読書の時間を積極的に設けるべき、という方向の確信を深めた一冊でもあった。

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2 件のコメント

  • 教室内に本がたくさんある環境を利用して最も顕著に力を伸ばして行くのは、一年間ですが、もともと本が大好き子たちでした。そういう子たちって4月から僕が用意した本をもの凄い勢いで読んでいきます。それに対して、本が好きではなかった子は、その同じ環境の中で、上手くいくと、徐々に本を自ら読むようになり年度の終わりころに言語能力の伸びを少し実感できるようになるということを何度も見てきました。この本を読んだ時に、自分の直観を裏付ける研究があるのだと思いました。今このことを振り返って、この本の研究と繋げて考えると、もともと本が大好きだった子たちは、さらに言葉の様々な使い方と接触する機会が増えるから(きっと本を読むことが苦手な子たちよりも圧倒的にその機会が多いと思います)、言語能力の伸びを本人もそうですし、教室に担任も、保護者の方もより実感できるようになるのかもです。

    あとこの研究の結果は、
    学力っていうのは開いて行くものだなあという実感とも一致していました。

    • こういう「実感を裏付ける研究」ってとても大事だと思います。また、おそらくリーディングワークショップのような授業でも、もともと語彙力のある生徒と乏しい生徒の差が埋まることはないでしょうね。好きな子はどんどん先に進むでしょうから、開くことも予想されます。ただ、本人の子の中での「伸び」は一斉授業よりもあるのではないかと思います。こういうことをきちんと研究できると有意義なのになあと思います。