書く経験の多様性の新基準!? 「読者」と「反応の仕方」に基づく書くことの分類マップ

「書くこと」や「書かれた文章」をめぐってはいろいろな分類方法がある。下記エントリで紹介した「書くことの言説の分類」もその一つだと思うけど、今日は作文教育の研究者Peter ElbowのEveryone Can Write(2000)から、「読者」と「反応の仕方」という観点から作った「書くことの分類マップ」を紹介してみよう。なお、著者のピーター・エルボーはプロセス・アプローチの作文教育の研究者・実践者。この世界ではとても有名な一人である。

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「読者」と「反応の仕方」という観点からの書くことの分類

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エルボーの分類は、書く経験を上図のような表として表現している。縦軸は上から順に読者の質の違いを表す。

  1. 権威のある読者(先生、編集者、指導者、雇用主)
  2. 同等な立場の読者
  3. 協力的な読者
  4. 読者は自分一人だけ

また、横軸は左から順番に、反応の程度を表している。

  1. 共有しても反応はない
  2. 反応あり。でも、批判や評価はされない(書かれていることを叙述したり、質問したりするなど)
  3. 批判や評価をされる

全部で4×3の12の点ができて、「書く経験」はそのどれかに当てはまるわけだ。例えば、「学校の先生に出すレポート」は一番右上の点 (「権威のある読者」に向けて書かれて「批判や評価をされる」)だし、このブログの記事は結果として「同等な立場の読者」に向けて「共有はするが反応はない」ものが多い。

すべての「読者」と「反応」をカバーすべき

さて、この表を使ってエルボーが主張したいことは「この表の色々な点をカバーする経験が必要だよ」ということだ。例えば学校での作文については、「問題は評価されることではない。評価しかされないことである」(p31)と書かれている通り、「評価」という形での反応が圧倒的に多い。しかし、本来は異なる反応がありうるのである。特に「反応なし」は通常望ましくない状態と思われがちだが、エルボーは「自分で書いた文章を声に出して読み上げれば、批判されたりする不快感なしに多くの点を改善できる」として、他の二つの状態と同じ程度に重視することを進めている。

同じことは読者についても言える。「権威のある読者」「同等な立場の読者」「協力的な読者」「読者は自分だけ」のそれぞれに異なった役割や課題があり、やはりその全てを経験しておくことが好ましいのだという。

エルボーはここで、最後の「読者は自分だけ」=「プライベート・ライティング」について詳細な説明をしているけど、これについては機会があれば後日また別のエントリで書いてみよう。

学校の作文の「多様性」を考える時にも示唆的な表

このエルボーの主張、学校での作文教育の多様性を考える時にも良い材料になる。普通、「多様な作文の経験を!」という主張は「多様なジャンルを書かせよう!」という意味でなされることが多い。ところがエルボーのこの表は、ジャンルとは別の「多様性」の基準を提示している

おそらく多くの学校の国語の授業では、この12の分類のうち、2つ〜3つくらいしかカバーしていないのではないかと思う。中でも圧倒的に多いのが「権威のある読者」(先生)が「評価する」というパターンだ。だとすると、いくら先生が頑張っていろんなジャンルの文章を生徒に書かせ、それを添削しても、それは別の基準からは全く多様性を欠いた経験をさせているだけということになる。もちろん、全ての基準の多様性を満たすことはおそらく不可能だ。だとしたら、僕たちはどの「多様性」の基準を優先すべきだろうか? 個人的には、「読者」という基準は、相当に重要な基準だと思うのだが…。

このエルボーの表は、ジャンルとは異なる(そしてジャンルよりもおそらく本質的な)多様性の基準を教えてくれる。同業者の方も、この表を基準にして、自分の作文の授業を見直してみてはいかがですか?

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