アトウェルの学校見学レポート(1) どんな学校なの?

個人的には今年最大のイベント、ナンシー・アトウェルの学校the Center for Teaching and Learning(CTL)の見学が終わった。イギリスに戻るとすぐに大学のレポートに専念しないといけないので、時間のあるうちにこれまでメモ程度に書いていたことをまとめてみたい。

一回が長すぎないように、全体を3回のエントリに分けようと思う。まずはこのエントリで、アトウェルの学校全体について考察し、次回の記事で授業についてまとめ、最後のエントリでは見学を受けて自分に何ができるのか/できないのかを考えたい。というわけで、今日は最初の話題、アトウェルの学校が、一体どんな学校なのかという点だ。

アトウェルの学校について、彼女が自分で書いたのが次の本。僕がこの後書く朝の集会についても丸ごと一章使って書いてあります。本記事を読んで興味を持たれた方は、ぜひご一読を。残念ながら、リーディングやライティングに特化した本でないこともあるのか、彼女の本としては一番売れていない本なのだそうなのです。僕も最初は「へえ、アトウェルがこんな本も書いたんだ。でも作文教育じゃないしなー」程度だったのですが、今になると、なぜ彼女がこの本を書いたのかがわかります。

[読書]アトウェルの学校はどんな学校? Nancie Atwell. Systems to Transform Your Classroom and School

2016.03.19

アトウェルの学校は「芸術を核にしてつながるコミュニティ」

乱暴を承知でまとめると、アトウェルの学校の本質は「芸術を核にしてつながる小さなコミュニティ」だと感じた。学校があるのは、全土の9割が森林というメイン州。周囲を自然に囲まれ、生徒約70名と教職員約10名が過ごす小さな学校が、CTLだ。生徒数が少ないので、教員の誰もが生徒のことをよく知っている。小さく濃密な、ある先生曰く「家族のような」コミュニティ。そして、そのコミュニティの核にあるのが詩や絵画や音楽といった芸術である。校内の至る所に生徒の絵画作品が飾られ、毎日の英語(リーディング&ライティング)の授業では詩が読まれる。芸術を通じて人々が繋がっている学校だ。

こうした「芸術を介した人々の繋がり」という点が濃縮されているのが、朝の8時半からの全校集会である。8時半前後に生徒がバラバラとその部屋にやってくる頃にはすでに元プロミュージシャンのテッド先生が部屋の中にいて、ギターの音色で生徒を迎え入れる。集会では、必ず詩が読まれ、歌が歌われる。時に一人ひとりの学校外のエピソードが共有され、本の紹介があり、生徒や作家の誕生日が祝われ、春を迎える自然の変化が報告され…自然・芸術・個人の尊重が、この朝会の鍵になっている。点呼もなければ整列もない。終始穏やかで、音楽と笑いがある。日本で一般的な伝達事項中心の朝の集会とは全く異なる、とても素敵な朝の会だった。

この朝の会の雰囲気は、アトウェルがGlobal Teacher Prize2015を受賞した時のビデオで味わうことができる(0:20前後、3:13、3:35-。ただし、僕が見学した限り、ナンシーは前に出ないで他の先生とともに横で見ている)。興味を持たれた方はぜひ見て欲しい。

同調圧力や閉鎖性は強くないのだろうか?

でも、こんな小さな共同体で、閉鎖性や同調圧力による息苦しさは生じないのだろうか。当初その点に疑問も持っていたのだけど、他の方から「(人間関係ではなく)芸術を中心にした結びつきなので、閉じる心配はないのではないか」という趣旨の指摘をされて、そうかもしれないと思い直した。

実際、この朝の集会以外で、「みんなで何かをする場面」自体があまり存在しないのだ。授業の多くを占めるライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップは、基本的に個人作業の積み重ねである。もちろん他の生徒と相談する場面はあるし、みんなでやるアクティビティもあるけれど、先生が設定するグループワークの時間(生徒が強制的に他の生徒と関わらせられる時間)だけなら、日本の学校の方が圧倒的に多い。また、授業が終わって3時頃には親が車で迎えに来て生徒は帰宅し、部活のような授業外での集団活動もない(先生もさっさと帰宅する)。そんなわけで、芸術を核にして結びついた共同体でありながら、みんなそこで個別に作業している、そんな雰囲気である。

同時に、先生と生徒の関係に注目してみても、もちろん先生は生徒に対して権力を行使しており、ティーチングをする場面もあるのだけど、声高になることもなければ、先生が生徒を丸ごと抱え込む(支配する)ような関係でもない。常に生徒の個としての自立が志向されている。生徒は、自分でいまどのジャンルを書くか、何を素材にして書くかを決める。どの本を読むかも決める。テストのないこの学校での評価方法であるポートフォリオも、生徒の自己評価が中心である。

生徒同士・先生と生徒がこういう関係性なので、もしかしてこちらが気にしたほどの閉鎖性や同調圧力は生じていないのかもしれない。まず、生徒を個人として尊重することが先にある。

温かなコミュニティの中での個人作業

朝の集会で温かなコミュニティの雰囲気とともに1日を始めて、そこから授業での淡々とした個人作業に向かっていく。どこにでも芸術があり、生徒の作品がある。それが、アトウェルの学校という印象を受けた。特に印象深いのは朝の集会で、毎日8時半に集まって30分近くを過ごすこの時間が、1日の個人での仕事を支えるコミュニティの雰囲気を作るための、大切なプロセスなのだと思う。

学校であれば必ず存在するコミュニティと個人。個人とコミュニティのバランスをどうするか。何によって結びつくコミュニティにするか。そこには唯一の正解はないと思うけど、アトウェルの学校は、このような選択をしている。他の見学仲間によると、このような姿はアメリカでも十分に異質らしい。少なくとも4日間過ごした限りでは、とても素敵な学校のあり方だと思った。

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