「良い文章」の条件ってなに?

エクセター大学にはCentre for Research in Writingという作文教育研究の組織があるため、授業をする先生にも作文教育研究者が多い。それで、授業中にもちょっとした事例として作文研究が取り上げられることがある。今週の授業では、何かの拍子にWhat is good writing? という質問が出た。皆さんは、良い文章ってどんな文章だと思いますか?

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Good Writing Changes Writers


実はこれに関しては僕にははっきりした答えがある。良い文章とは、書き手を変える文章のことだ。

おそらくこの時の授業の文脈としてはアカデミック・ライティングが想定されていたので「すべての文章が一つの目的に向かって構成されている」とか「パラグラフ同士が関連づけられている」とか、そういう答えが想定された場面なのだろう。でも、授業の文脈から外れてもいいや、と思って「Good writing changes writers」と答えた。「授業の文脈を無視して発言する姿勢」は、こちらでアラブ系の学生が思い切り発揮しているので、僕もそれで鍛えられた能力である(笑)

良い文章は、書き手の発見をともなう

文章の大切な機能として「伝達のための手段」があるのは確かなので、「良い文章とは他人に伝わる文章のこと」という考え方も一方にある。僕もその価値は否定しない。でもそれ以上に、書くことで自分の考えが少し深まった、書くことで新しい世界のドアが開いた。書くことでわかっていたことがわからなくなった。そういうことの方がよっぽど大事だと僕は思う。逆に、他の人にわかりやすく伝える文章を書いたところで、それがその人自身にとって何も新しい発見をもたらさないものであれば、本質的はそれはつまらない文章だ。僕はそのことを、ほとんど直感的に確信している。

ほんの少しでいいのだ。書くことで、書き手の中に何らかの変化が起きれば、それはその人にとって書く価値のあった良い文章である。たとえその価値が、書いた当人以外に気づかれなかったとしても。たとえ、学校の授業で先生によって「もっとわかるように書きましょう」とコメントされたとしても。
 

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1 個のコメント

  • 私も同意します。書いた自分が内心ではちっともそう思っていない文章って、不思議にその底の浅さが伝わってきますよね。