100年前の教育論に時代が追いついた話

イギリスの作文教育の研究者たちに日本の作文教育の話でもしようと近代デジタルライブラリーをあさっていたら、蘆田恵之助が良いことを言っていた。

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教育の目標は、「修養をたのしむ人」を育てること。

教育は被教育者をして修養をたのしむ者に仕立てることが肝要である。修養の味を知れば、その者は終生向上発展して止まぬ。修養に心掛けるものは、一個人としても、社会の一員としても、最も堅実なものである。自己の上に満足を求めるから、他と比較して羨望し、煩悶し、憤慨することはない。

人は左右を相対的に見廻す時に、非常な不満を感じ、自己の上を絶対的にながめる時に、非常な満足を感ずるものである。
 

修養をたのしむ者を作る法如何、この解決が即ち教育の真意義である。余はたゞ一法しかないやうに思ふ。一法とは教師がたゞたゞ修養をたのしむという一事である。修養の味を知らない者が、修養の味を知らせようといふ事は、無から有を生ぜ閉めようと計画するので、不可能である。教師が修養の味を占めてさへ居れば、説かなくても、一挙一動が有力なる説明である。
 


出典は『綴り方教授に関する教師の修養』(育英書院、1915年、pp.33-34)。「人は左右を…」の一文なんて、凡人の身としては本当に身につまされるのだけど、ここで示された「一生、学び続ける人」のことは、最近では「自立した学び手」や「アクティブ・ラーナー」という言い方で表現されることが多いけれども、蘆田の「修養をたのしむ者」という表現もなかなかに素敵である。そして、そのためには教師が修養をたのしむことが必要、という一言も、非常によくわかる話。

作文教育の秘訣は、自分で文章を書くこと。

この話を作文教育に持って行くと、おのずと次のような話になる。

綴り方教授法の最捷径は、自ら文を書くということである。自ら描いてみれば、その苦心も、愉快も、成功も、失敗も、悉く味へることが出来て、教授の秘訣は、自然に会得せられる。世には作文法や教授法の書物を渉猟して、綴り方教授の研究を企てるものがあるが、それはたゞ教授の方針や文を綴る手続が明かになる位なもので真の研究は出来るものではない。かの急がば回れという諺は、綴り方教授研究の上に特に至言であるとおもふ。
 


こちらの出典は、蘆田恵之助『綴り方教授』(香芸館出版部、1913年、p413)。これももっともだと思う。下記リンクでも書いたけれど、「作文教育の一番の秘訣は教師が文章を書くこと」ということは、決して蘆田だけの専売特許ではなく、日本でもアメリカでもいろいろな実践者が言っていることである。

作文を教える秘訣は、自分が書くこと。

2015.01.19

また、僕のいるイギリスでは、2000年代からteachers as writers(書き手としての教師)が作文教育で盛り上がってきているテーマの一つになっていて、論文の数が増えつつある。これもなかなか面白いので、また別の機会で書けたら。

どちらも100年以上前の教育論

この蘆田恵之助の教育論、どちらも100年以上前の文章だ。このエントリのタイトルはやや煽り気味だけれども、先端をいっているつもりが実は誰かの通った後だった、というのはよくある話。それを自覚するためにも、折に触れて歴史に立ち返ることは大切だなと改めて思った次第。

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