原点としての小学生時代を振り返る

小学校4年生になった娘(9歳)の学校の最近の宿題は「プリント1枚に何か自由にやってくる」というもの。漢字の書き取りや計算をやっていたのだが、本人も飽きてきたのか僕に「何かいい宿題ない?」と聞いてきた。それで、何の気なしに、「何か好きなことについて書いてみたら?」と言ったら、歴史好きの娘は豊臣秀吉についての連載をはじめてしまった。長いのだけど、自分で好きなものだから、彼女なりにけっこう頑張って書いている。

そういう娘の姿を見ていて、そういえば自分も小学生の頃、自由課題の宿題でお話を書いていたことを思い出した。

5年生の時だったと思う。教科書に架空の島の地図があって、お話を書こうという単元があった。小学生男子にとって、島の地図といったら宝島か漂流先の孤島しかありえないわけで、僕は当然のように「宝島」と「十五少年漂流記」と「ロビンソン・クルーソー」をごたまぜにしたようなお話を書いた。原稿用紙で100枚を超えたのはそれが初めての経験だったから、よく覚えている。

それが楽しくて、その後の自由課題の宿題でも、ノートに毎日お話を書いては出していた。内容はやっぱりアニメ三銃士か何かの影響を思い切りうけた冒険もの。先生が読んで、一行くらいの簡単なコメントをくれていた。この習慣は中高生になっても続いてて、今度は読者は誰もいなかったけど、寝る前に30分ほど大学ノートに書いてから寝るのが習慣だった。中学時代は三国志や銀英伝の二次創作、高校時代は好きな箴言を書いたり競馬の予想や名馬列伝を書いたり…昔の話とはいえ、こう書くとなかなか痛いですな(^_^;)

でも、僕に取って、やはりこういう経験が自分の読み書きの形成に大きかったのだと思う。前にもこのエントリで書いたけど、自身には「国語の授業のおかげで読み書きの力をつけた」実感がまるでない。

 

なぜ中高に「図書」の時間がないのか

2014.12.09

自分の国語力の源泉として思い当たるのは、特に小学校時代の読書量(何しろ友達がいなかったので、登下校時も犬の散歩中もいつも本を読んでいる子だった)と、こういった下手の横好きの類の書き物なのだ。とにかく、好きなだけに、読み書きの量はけっこうあったと子どもだった。

こうやって振り返ると、僕がライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップに興味を持ったことに、自分自身で納得がいく。「好きなものをたくさん読む」「好きなことをたくさん書く」ことがその力を伸ばすという信念を、僕は自分の子ども時代でなんとなく身につけてしまったのだろう。「俺サマ教育論」に陥ることの弊害はある程度承知した上で、それでも、その人の教育観はその人の個人史と切り離せないのだろう。

娘の宿題をきっかけに、僕はそんな風に自分の原点としての小学生時代をあらためて振り返った。

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