[読書]ライブ講義・質的研究とは何か(ベーシック編)

自分が作文教育に興味をもつようになってから、「これを勉強しなきゃなあ」と思うようになったことが3つある。一つは、そもそもの興味の発端であるライティング・ワークショップ。これはそのために最低限の英語を学ぶことも含む。次に日本の過去の作文教育史。これはまだまだ足りてないけど、日本の過去の、特に大正〜昭和初期の作文教育はかなりのレベルにあって、主要な問題はこの時点でかなり議論なり実践なりされている気がするのだ。そしてもう一つが、自分の実践を研究に結びつける研究方法を学ぶこと。

僕は研究者ではないし、中等教育の現場で教育と研究の二足のわらじをはくのは、少なくとも僕には無理だなと見切っている。でも、授業をする中での自分の実感や手応えを信じきってしまうことが怖い僕としては、研究者の人と一緒に授業を作りたい気持ちもあって、研究のための言葉くらいは理解したい。ところが、教育学出身ではないデモシカ教師の悲しさ、教育研究のための手法の基礎がまーったくわかっていないのだ。まーったく!

それが今回、幸運なことに質的研究法についての勉強会に参加できることになった。初回までに読むべしと指定された、そのテキストの上巻がこれ。



ライブ講義と題されただけあって、けっこうわかりやすい。リサーチ・クエスチョンの設定から、研究手法を選択し、研究関心に沿ったサンプリングを行い、採取したテキストから分析ワークシートをつくり、モデルを構築し、それを洗練して理論的飽和を目指すまでの一連の流れが、ひととおりわかるようになっている。

特に読んでいてなるほどなと思ったのは、

・自分が採用した方法で扱えないことをある程度意識化しておくことは、自分の研究の限界を知るという意味でも大切なこと(p164)
・理論を作るときは、理論の構築者である自分の関心に自覚的である必要がある。(p177) 


という点だった。研究はあくまで自己の関心を出発点として構成されるので、自分の関心が何で「ない」のか、研究手法が何を「目指していない」のかということも含めて、それについて充分に自覚的でないといけないんだろうな。

また、よくわからないまでも一番面白かったのは、p27-29あたりの「質的研究の結果の妥当性(信憑性)をどう示すのか?」という話。「多くの人が妥当だと思ったら妥当」だと結局は量的で客観主義的なパラダイムに回収されてしまうので、質的研究法ならではの色々な工夫が必要、というあたりに話は落ち着いていたのだけど…。これで客観主義への回収を免れているのかどうかがよくわからん。ここは、実際の勉強会で聞いてみよう。

とりあえず、ベーシック編は読んだので、この週末はアドバンス編にチャレンジ。これ以上アドバンスされると、ついていけない恐れもあるんだけど、ね。

(2/7追記)

[読書]ライブ講義・質的研究とは何か(アドバンス編)

2015.02.07

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