文集作りの昔とこれから

今週は僕にとって、原稿書きの一週間でもある。木曜日に3本の原稿を脱稿したばかり。でも、次は明日までにもう1本書かないといけない。今回は文集・作品集についての依頼原稿。実は2ヶ月前に依頼されてたんだけど、暇がなくていざ書くのはギリギリになってしまった。まあ、中身はずっと頭の片隅で考えてきたから、下のエントリに従えば書く作業の8割はもう終わってる…と言い訳をしておきます(^_^;)

 

「書く前」80%、「書いた後」15%、「実際に書く」5%

2015.01.09

今更言うまでもなく、文集を作るのはとても効果的な作文教育の手法の一つだ。 先生だけが作文を読むのでは生徒は本気で書こうとしない。それ以外の読者に開かれた発表の場が必要で、文集はその具体的な場の一つである。実際、大正末期から昭和にかけてガリ版印刷の普及とともに教育現場での文集制作は盛り上がり、昭和十年前後には個人文集・学級文集・グループ文集・学年文集・学校文集・地域文集・全国文集など、実にさまざまな 文集が作られていた。「文集は夜つくられる」の言葉通りに、全国の生活綴方の教師が寝食を忘れてガリ版での文集作りに励んだのだ。うーん、熱い。

そして文集づくりというと個人的に印象深いのが、このブログで度々名前をあげる大村はまの「私の個人文集 ーーの本」。(ーーには、生徒の個人名が入る)。これは他の文集とは一風変わって、出来上がった作文を寄せ集めてつくる文集ではない。あらかじめ書く内容を示す枠の入った本を生徒全員に与え、そこに生徒が自分で書き込んでいく文集である。1年間に3冊。生徒は3年間で、9冊の本をつくりあげる。

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これがまた面白い文集なのだ。色々なテーマやレイアウトが指定されていて、書くためのちょっとしたヒントも満載。さすが…と感嘆してしまう。大村はまは「書きたいことを書きたいように書け」という指導法には明確に反対で、書く材料は教師が与えるべきという立場の人。書きたいことを生徒に決めさせるライティング・ワークショップにシンパシーを持つ僕は、彼女とは異なる考え方の持ち主なのだけど、それでもここまでのものを見せられては兜を脱ぐしかない。これ、いまそのまま出版されても面白いと思う。

文集は、作文教育の成果発表の場になるというだけでなく、それが全国の学校同士で交換されて生徒同士の交流の場になったり、作文指導の教材として使われたりと、色々な効果がある。その機能は昔も今も変わらないだろう。特に今は電子出版も可能になって、下のエントリで書いたように、フィンランドのある小学校では、学校の授業で書いた作品を収める電子図書館まであるそうだ。

 

北欧のICT教育事情をうかがう

2015.01.04
僕も今回の中1の作文の授業では最後に製本して文集にするんだけど、いつかこういう普通の文集作りだけじゃなくて、電子図書館のアイデアもやってみたいと思う。電子図書館で学校の枠を超えて文章がアーカイブされて、書くことのコミュニティが広がっていくのって、ちょっと面白いと思いませんか。

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2 件のコメント

  • お久しぶりです。卒業生です。
    記事読みました。どうでもいい点が気になったんですが、「寝食を惜しまず」って寝て食べまくったという意味になりませんか?

  • わお、寝食を忘れてor寸暇を惜しまず、だね。直します。卒業しても読んでくれてありがとう!