調べ学習における「引用」と「意見」の違い

NHKクローズアップ現代「読書ゼロ」特集がちょっとした話題になっている。番組前半の「読書ゼロは問題だ」「若者の学力低下だ」的な文脈を、後半で立花隆が「ぶったぎっている」あたりも注目を集めたようだ。以下のNHKオンラインで番組のダイジェストが見られる。

 ▷広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~ (NHKオンライン)
 ▷立花隆氏が「クローズアップ現代」の読書特集に次々と異論 (Livedoor News)

 番組のダイジェストを見る限り、たしかに前半でステレオタイプな番組作りがなされてる雰囲気はあるが、立花隆は基本的にはそれに対して「一概には言えない」としごく穏当なことを言っているだけで、「読書しなくてもいい」と言っているわけでは全くない(ですよね?)。それに彼の発言も個人的体験談の域を出ていないしなあ。たしかに立花隆にそう言ってもらえると耳に心地いいけど、さ。

番組の中で僕の興味を惹いたのは、筑波大学図書館情報メディア系の逸村さんの研究。中高の調べ学習に携わっていると生徒がネットでしか調べない状況がデフォルトなので、本で調べるのとネットで調べるのはどんなふうに差があるのか、というのは大いに興味がある。今回、番組が導いたのは「ネットで調べると広くたくさん引用するが、自分の意見が書けない」という結論だったけど、仮にこれが妥当ではないにしても、直感的に何らかの違いはあるのでは、という気がする。

あと、実は一番興味深かったのは、逸村さんがどのようにして「引用」と「意見」を区別しているのかという点だ。番組見る限り、読書派のエース・鈴木康平さんの「意見」だって、結局(ネットじゃなくて)本からの引用だったと思うんだけど。「自分の意見」って何だろう?

少なくとも僕の授業では、よく調べる生徒であればあるほど「引用だらけになって意見がない」状況に陥る。しかし、考えてみればこれは当たり前のことだ。オリジナリティのある「意見」など、その分野の先行研究を調べた上で、問題意識を持って研究を続けてようやく書けるもの。いかに賢い生徒であっても、中高生が授業の範囲でがんばった程度で、「自分の意見」など書けるはずもない。「自分の意見」と思っているものの9割9分は、すでに誰かが言っている。そう実感できたら充分だと思っている。
 

僕にはそんな「見切り」「諦め」があるので、自分の授業ではむしろ「オリジナリティのある意見を書こうとするな」とすら言ってしまう。それよりも、たくさん本やネットの資料を読んで、たくさん引用しなさい。引用だらけでいいよ。学術的な意味でのオリジナリティなんて中高生にすぐ出せるはずがないし、もっと広い意味でのオリジナリティなら、どんな意見を引用して、それをどう配置して、どれに賛成するかに、自然と現れてくるんだから、と。

とはいえ、これでいいんだろうか。実は確たる自信があるわけではない。 もっと「自分の意見を考えなさい、(たとえ勘違いであっても)オリジナルな意見を出しなさい」と声がけする方がいいんだろうか、とか思うこともある。このへんは、調べ学習を推進されている方はどう考えているんだろう。色々と意見をうかがいたいところだ。

ところでこの番組、最後には「書くことが一番大事」という発言で終わりましたね。個人的に「ふふーん」と思った瞬間はそこでありました。

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