ICTと作文教育の未来とプライバシー

ICTと「書くこと」について、もう一回続きを書いてみる。

メディアが書くことに与える影響

2014.10.13

ICTと書くことの関わりの現代史

2014.10.14
これまで書いてきたのは、ICTが書くことに影響してきたこと。今後、この延長上でICTは作文教育のコンテンツにも影響を与えるだろう。文章を推敲することが奨励され、他者と協同で書くこと、書いたものを共有すること、他のメディアと組み合わせて書くことなどは、今後、作文教育の当たり前のコンテンツになっていくはずだ。

では、ICTは、作文教育の「方法」にはどういう影響を与えるだろう。一つ考えられるのは、作文はとても個別的で把握の難しいプロセスなので、その個別のプロセスの可視化のツールとして使われるだろうということだ。

例えば、生徒たちがアイデアを考えてから文章を書くまでのプロセスを、逐一記録する電子ボードやタブレットのアプリがあったとしよう。その上で生徒が手書きで書いたり、消したりした跡が、そのままデジタル化され、保存・再現できれば、教師はその生徒の作文プロセスをかなり詳しく知ることができる。

また、教師と生徒とのカンファランス(個別相談)や、生徒同士の推敲時の会話を録音して文字化してくれるツールがあれば、これもとっても便利。Siriのような技術を使えば、これはもう実用化目前のはず。

さらに、こうやって生徒の作文プロセスや相互推敲のプロセスを膨大に集めていけば、個別の指導に使えるだけでなく、「文章を書くのが得意な生徒の作文プロセスの特徴」「作文の推敲に効果的な発言の傾向」を把握することもできるはずだ。それはそれで、作文の新しい指導法の開発に貢献するだろう。

作文教育は、書かれた作品(プロダクト)の質を直接高めるよりも、書く過程(プロセス)の質を高めることに関心を持つようになってきた。であれば、生徒の作文プロセスをまるごと記録して教育に役立てたいと作文教師が思うのは自然な欲望で、今後は、その欲望に答えるべく、ICTが活用されるのだと思う。たぶん、かなり高い確率で、そうなる。そんな予感がする。


すでに、似たようなことは考えられている。たとえば、ここ何回かのエントリでの参考文献、Andrews et al.(2011) Developong Writers: Teaching and Learning in the Digital Age では、今後の作文教育の方向性として、Penrod(2010) Composition in Covergence: The Impact of New Media on Writing Assessment が提唱しているディープ・アセスメントという評価方法が肯定的に紹介されている。これは、学校の内外を問わず生徒のあらゆる文章、インタビューなどを集め、デジタルアーカイブ上に保存し、それを複数の評価チームでタグ付けして成長のパターンを見つけ出すというものだ。正直、ここまでいくと僕にはついていけない面もある。少なくとも、学校の内外を問わず文章を集めるなんて、個人のプライバシーの侵害でしょという思いも強いのだ。


しかし、「プロセス」に関心を持つということは、程度の差こそあれ、個人の内面に踏み込むということなのだ。「文章を書くプロセスを監視されたくはない。一定水準以上の文章を結果として書けば、それでいいだろう」と、プロセスを見られることを拒否する生徒も当然出てくるし、心情的にはそれもわかる。

今後の作文教育は、もちろん僕自身も含めて、ICTをフル活用して生徒の作文プロセスに関わりたいという欲望と、生徒のプライバシーを守るべきとする意識の狭間で葛藤を抱えるだろう。作文教育の未来はどうなっていくんだろうな。
 

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